初めて「山」に登ったのは、1984年の3月。公開山行の「釈迦ケ岳」 素晴らしい樹氷に感激して、帰宅してすぐその感動を手書きで書き残した。 山行記録はそれ以来ずっととっている。 その頃持っていたのは、植物の写真を撮っていた一眼レフのフィルムカメラ。 山行計画書と共に、花と山の写真と、山の感想をクリアファイルに綴じていた。 手書きがワープロに。そしてパソコンへと変わっていったが、必ず記録は残していた。 退職後、時間の余裕ができたのでパソコン教室に毎日のように通って HP(ホームページ)の作り方を覚え始めたのが、2003年の春。 それをきっかけに、初めてコンパクト・デジカメを手に入れた。 デジカメをフルに使った写真の多いHPは、2003年の6月から。 「百『文』は一見にしかず」・・・で、目で見て楽しめるHPを心がけた。 一眼レフ時代のクリアファイルに綴じていた記録が、本棚を占領してしまったので スキャナーで取り込んだ後はさっさと処分し始めたのが、2017年。 困ったことは、手書きの文章とワープロ原稿(感熱紙)の場合、 スキャナーが読み取ってくれないので、写真のある山行を主にアップすることにした。 文章がほとんどを占める山行は、パスした。 これでだいぶ整理が付いた。 昔の山仲間の元気な姿に、いつでも会えるようになったし、 若い自分に会えるという楽しみも見つけた。 HPを作り始めた頃の稚拙さはどうしようもないが、それも記録・・・と思うことにした。 |
1984年〜1990年はこちら | 1991年〜1995年はこちら | 1996年〜2000年はこちら |
2001年〜2005年はこちら | 2006年〜2010年はこちら | 2011年〜現在まではこちら |
色分け
鈴鹿 | 北アルプス | 南アルプス | 中央アルプス | 八ヶ岳 | その他 | 海外 |
【検索の仕方】
例えば、○○という山にいつ登ったか・・・などを調べたい場合、 Ctrl(コントロール)とFキーを同時に押すと、「検索の窓」が開くので、 その「窓」に、知りたい山の名前○○を書きEnterキーを押すと、 その○○の山の名前の部分が色で表されます。 また、右端のスクロールバーには、その○○の名前のある場所の横に線で表されます。 |
1984年
NO. | 山行年月日 | 山域 | 山 名 | メンバー | |
1 | 1984/3/11 | 鈴鹿 | 釈迦ケ岳(公開山行) | 9名で | |
公開山行に始めて参加 樹氷が素晴らしかった 入会するきっかけとなった山行 頂上までは行けなかった |
|||||
2 | 1984/4/15 | 鈴鹿 | 藤原岳(公開山行) | 20名で | |
2回目の山行 木がねじちぎられた雪崩のすさまじい痕を見る |
|||||
3 | 1984/5/20 | 鈴鹿 | 藤原岳 | 6名で | |
3回目の山行 ニリンソウの群落を始め春の花に心を奪われる |
|||||
4 | 1984/5/27 | 鈴鹿 | 入道ケ岳(ありんこ山岳会と) | 60名くらいで | |
小学生の娘と他山岳会の公開山行に参加 |
|||||
5 | 1984/6/3 | 鈴鹿 | 御在所岳(清掃山行) | 14名で | |
4回目の山行 定例の清掃山行に参加 |
|||||
6 | 1984/7/14 | 1984/7/15 | 鈴鹿 | 鎌ケ岳 | 4名で |
初めてのテント泊の予定だったが雨のため中止 テントで泊まって、翌朝、名古屋に帰る |
|||||
7 | 1984/9/22 | 1984/9/23 | 鈴鹿 | 鞍掛峠〜五僧 | 3名で |
再挑戦でテント泊山行 あまりの荷の重さに悲鳴 霊仙山まで行く予定だったが五僧から下山 |
1985年 鈴鹿の山をよく歩いた バドミントンの試合でアキレス腱を断裂し、しばらく山と遠ざかっていた
NO. | 山行年月日 | 山域 | 山名 | メンバー | |
8 | 1985/1/27 | 鈴鹿 | 御在所岳(名古屋山歩会と) | 20名で | |
「名古屋山歩会」の公開山行に参加 裏道〜 藤内壁からカーンカーン・ジャラジャラという音が聞こえてくる 雪は踏み固められている アイゼンが快適そう 私はまだ持っていない |
|||||
9 | 1985/2/11 | 鈴鹿 | 藤原岳 | 2名 | |
セツブンソウを見に まだ早くて咲いていない フユイチゴの実 6合目から下は雪が少なく、くちゃくちゃねちゃねちゃの道 |
|||||
10 | 1985/3/10 | 鈴鹿 | 伊吹山 | 単独 | |
神社から登る 4合目から雪が深くなる 急斜面で立ち往生 引き返す |
|||||
11 | 1985/3/24 | 鈴鹿 | 霊仙山 | 単独 | |
山歩会の女性とばったり 踏み跡がなく6合目から引き返す人もいたが彼女と連れ立って避難小屋まで 帰りは山歩会と一緒に下山 |
|||||
12 | 1985/4/1 | 鈴鹿 | 藤原岳 | 単独 | |
ミヤマカタバミ・フクジュソウ・アズマイチゲ・セツブンソウ・オウレン・エンレイソウ・キクザキイチゲなど花いっぱい |
|||||
13 | 1985/4/14 | 鈴鹿 | 伊吹山 | 息子と | |
中学生の息子と 登りはリフトで3合目へ アマナとミスミソウがいたる所に 下りは歩いて カタクリ・キバナノアマナ |
|||||
14 | 1985/4/21 | その他 | 笠置山 | 単独 | |
恵那駅から中野方方面行のバスに乗るつもりだったが、1時間待たなければならないと聞き、タクシーで登山口へ ワラビをどっさり採った ヒカリゴケを見に行ったがどこにあるかさっぱり分からず ハルリンドウ・ユキザサ |
|||||
15 | 1985/4/28 | 鈴鹿 | 藤原岳 | 22名で | |
22人で植物観察 ハルタデ・イカリソウ・アズマイチゲ・エンレイソウ・イチリンソウ・ヤマブキソウがいっぱい |
16 | 1985/5/3 | 木曽 | 南木曾岳 | 娘と | |
小学生の娘と 南木曽駅からタクシーで蘭のキャンプ場へ 整備された木梯子があちこちに 顔の周りを飛び回る虫がうるさい 下山路は急 尾越のバス停まで歩いたが1時間後にしかバスが無い タクシーで南木曽駅へ バイカオウレン・アカヤシオ・イワウチワ・ムシカリ |
|||||
17 | 1985/5/12 | 鈴鹿 | 入道ケ岳 | 娘と | |
小学生の娘と 四日市駅から椿神社までバスを利用 四日市駅で姉夫婦にバッタリであった 冷凍しておいたデザートが程よく溶けておいしい 頂上では暑さとしんどさで食欲なし イワカガミ・シライトソウ 宮妻口からバスに乗る |
|||||
18 | 1985/5/19 | 鈴鹿 | 霊仙山(公開山行) | 9名で | |
公開山行 小学生の娘と 柏原駅〜山頂 歩いている時は暑く、頂上では寒くて震える |
|||||
19 | 1985/9/23 | 鈴鹿 | 藤原岳 | 単独 | |
5月末に、バドミントンの試合でアキレス腱断裂 即入院、手術 退院後はじめての山行 テンニンソウ・ミカエリソウ・トリカブト・レイジンソウなど 雨の中マイペースで歩けば痛くはならない |
|||||
20 | 1985/10/1 | 鈴鹿 | 霊仙山 | 単独 | |
養鱒場〜柏原駅 ミゾソバ・ツリフネソウがいっぱい 手術の跡が痛み、ヨタヨタ走って駅へ |
|||||
21 | 1985/10/20 | 鈴鹿 | 御在所岳 | 単独 | |
武平峠〜裏道 紅葉はイマイチ・・ |
|||||
22 | 1985/11/4 | 鈴鹿 | 竜ヶ岳 | 娘と | |
小学生の娘と ホタガ谷〜長尾滝 秋の日暮れは早い |
|||||
23 | 1985/11/24 | 鈴鹿 | 国見岳 | 4名で | |
朝明〜裏道 蛸壺のような抉り取られた道 葉のない山は明るい 雨で濡れた手袋を絞りながらの山行 |
1986年 初めてアイゼンを使った 山の花の名前をどんどん覚えた 北アルプスへ初めて登った
NO. | 山行年月日 | 山域 | 山名 | メンバー | |
24 | 1986/1/26 | 鈴鹿 | 御在所岳 | 息子と | |
中学生の息子と 山はうっすらと雪化粧 初めてアイゼンを着ける 快適 下りは尻スキーを喜ぶ |
|||||
25 | 1986/3/16 | 鈴鹿 | 白瀬峠 | 6名で | |
坂本谷から フクジュソウとセツブンソウがびっしり 途中から踏み跡消える 13:00峠から引き返す |
|||||
26 | 1986/4/6 | 鈴鹿 | 霊仙山 | 娘と | |
小学生の娘と 醒ヶ井駅からタクシー相乗り 汗拭き峠付近にオオミスミソウ 雪がほとんどないので油断 柏原へは雪多く踏み跡が入り乱れているので道迷い 河内へ下山 |
|||||
27 | 1986/5/6 | 鈴鹿 | 御在所 | 4名で | |
職場の人と 雨 武平峠〜山上公園〜裏道 御岳権現のひさしの下で休憩 |
|||||
28 | 1986/5/18 | 鈴鹿 | 霊仙山 | 6名で | |
柏原駅〜谷山谷 頂上13:00 メンバー1人がバテる 荷物を分担して持つ ニリンソウ・ヤマシャクヤクなど花多し |
|||||
29 | 1986/6/1 | 鈴鹿 | 御在所岳 | 9名で | |
清掃山行 イワカガミがいっぱい シロヤシオは盛りを過ぎていた 集会が終わる頃やっと広場に着いた ごみは無し |
|||||
30 | 1986/6/8 | 鈴鹿 | 根の平〜愛知川 | 10名で | |
愛知県「新婦人」の人たちと 娘も一緒 菰野駅からタクシーで伊勢谷小屋まで 年中・年少の子供もあわせると子供4名・大人6名 小さな子は抱いて沢を渡った サラサドウダン・ベニドウダン 愛知川は透き通ってとてもきれい 河原で豚汁作り |
31 | 1986/7/27 | 1986/7/30 | 北アルプス | 槍ヶ岳〜双六岳 | 乗鞍青年の家主催で |
乗鞍青年の家主催の山行 植物に詳しい講師のおかげで高山植物の名前がすぐ分かった 夏の花がいっぱい |
|||||
32 | 1986/8/13 | 鈴鹿 | 伊吹山 | 単独 | |
単独 リフトで3合目へ コオニユリ・フウロ・クサフジ・クガイソウ・クサボタン・タカネナデシコ・ユウスゲなど見事! 8合目からガスで展望がなくなる |
|||||
33 | 1986/9/14 | 1986/9/15 | 北アルプス | 西穂高岳 | 中津川労山と |
中津川労山の公開山行で 下山後小梨平のキャンプ場で泊 豪勢な夕食だった |
|||||
34 | 1986/9/21 | 鈴鹿 | 入道ケ岳 | 6名で | |
清掃山行兼公開山行 天候不順のため会員のみで実施 小岐須渓谷〜池ケ谷〜 ガスで視界が利かないので赤テープが見えず迷いやすい ヒルに遭遇 |
|||||
35 | 1986/9/29 | 鈴鹿 | 霊仙山 | 4名で | |
養鱒場〜谷山谷 職場の人と アケボノソウ・ツリフネソウ・トリカブトなど |
|||||
36 | 1986/10/10 | 北八ヶ岳 | 蓼科山 | 瑞浪労山と | |
瑞浪労山の市民登山に参加 ナナカマドが真っ赤 頂上は寒くて寒くて・・・ |
|||||
37 | 1986/10/25 | 鈴鹿 | 朝明〜国見岳〜湯の山温泉 | 5名で | |
前夜テント泊で 朝明〜ハト峰〜国見岳〜裏道 男性会員からイナゴの佃煮 よく眠れずお布団が恋しい 紅葉の見頃 朝日に輝く木々が一番美しい ドウダンツツジは血の色のように真っ赤で不評 |
|||||
38 | 1986/11/10 | 鈴鹿 | 藤原岳 | 単独 | |
単独で 坂本谷〜白瀬峠〜大貝戸 避難小屋まで誰にも会わず 走って1時間で下山 もう晩秋の風情 |
|||||
39 | 1986/11/30 | 鈴鹿 | 御池岳 | 2名で | |
坂本谷〜白瀬峠〜真の谷 丸山=御池とは気づかず 御池頂上を諦め下山 暗くなる前に駅着 |
1987年 鈴鹿の山のいろいろなルートを歩いた 泊付きの山行もだんだん増えた
NO. | 山行年月日 | 山域 | 山名 | メンバー | |
40 | 1987/1/15 | 鈴鹿 | 藤原岳 | 5名で | |
定例山行 大貝戸往復 寒いかと思い厚着をしてきたが汗がでるほど 雪まくりを作りながら登る 初めての「輪かん」体験 |
|||||
41 | 1987/2/11 | その他 | 田立の滝 | 2名で | |
田立駅から歩く 雪道となりスパッツを着ける 雪で隠れている桟道の隙間に要注意 沢から離れていく登山道に不安いっぱい 引き返したり地図を見たりで1時間のロス 滝は青白く凍って見事 天河滝へはつるつるでこわごわ |
|||||
42 | 1987/3/1 | 鈴鹿 | 霊仙山 | 4名で | |
3合目まではトレースあり 避難小屋までで引き返す 雪の多い斜面で滑落停止訓練 |
|||||
43 | 1987/4/5 | 鈴鹿 | 藤原岳 | 単独 | |
単独で 坂本谷〜聖宝寺コース 春の花に出会う(スズシロソウ・ミヤマカタバミ・ミヤマキケマン・ヤマブキ・クロモ ジ・ネコノメソウ・フクジュソウ・アマナ・ニリンソウ・エンレイソウ・アズマイチゲ・セツブンソウ・コバイモ・ミスミソウ・セリバオウレン・ショウジョウ バカマ・キクザキイチゲなど) |
|||||
44 | 1987/4/19 | 鈴鹿 | 霊仙山 | 2名で | |
柏原〜うるしが滝コース 春霞で伊吹山や琵琶湖はぼんやりと 春の花に出会う(ムラサキケマン・オドリコソウ・ショ
ウジョウバカマ・ナワシロイチゴ・ミヤマカタバミ・キブシ・カタクリ・ホソバノアマナ・ハシリドコロ・ニリンソウ・ユリワサビ・ヒトリシズカ・ミヤマキ
ケマン・スズシロソウ・アズマイチゲ・ヤマブキ・トウダイグサの仲間など) |
|||||
45 | 1987/4/29 | 鈴鹿 | 御池岳 | 2名で | |
坂本谷から 春の花(カキドオシ・イチリンソウ・シャガ・ムラサキケマン・ヤマブキ・コンロンソウ・ウツギ・ミヤマキケマン・オドリコソウ |
|||||
46 | 1987/5/5 | 中央アルプス | 南木曾岳 | 息子と | |
蘭キャンプ場〜山頂〜上の原コース タクシーでキャンプ場へ 笹がびっしり生えている上の原への道を、息子の勘を頼りについて行く クロモジ・オウレン・ショウジョウバカマ・ミツバツツジ さまざまな新緑の色が目を楽しませてくれる |
47 | 1987/5/24 | 鈴鹿 | 鎌ケ岳 | 公開山行 | |
公開山行 カズラ谷往復 イワカガミ・タツナミソウ・ジャケツイバラ・タニウツギ |
|||||
48 | 1987/6/7 | 鈴鹿 | 御在所岳 | 清掃山行 | |
清掃山行 職場の人も誘った ベニドウダン・サルナシ |
|||||
49 | 1987/6/22 | 鈴鹿 | 藤原岳 | 単独 | |
単独で 坂本谷〜大貝戸 春の花に出会った(ヒメフウロ・オトシブミ・キヨスミウツボ?・バイケイソウ・タツナミソウ・ヤマトウバナ・クルマバハグマ・コアジサイ・タニウツギなど) |
|||||
50 | 1987/6/28 | 鈴鹿 | 雲母峰 | 5名で | |
グループ山行で 湯ノ山温泉駅〜雲母峰〜カズラ谷 雲母峰の頂上は6人も居れば満員 オカトラノオ・ウツボグサ・ガクアジサイ・バイケイソウ・キバナアキギリ・アリドオシ・ギボウシ・ササユリ・ヤマボウシなど |
|||||
51 | 1987/7/12 | 鈴鹿 | 雨乞岳 | 4名で | |
前夜発で 電車の中でビール片手に夕食 トンネルのそばでテントを張る 夜中雨 シトシト雨の中頂上へ 地面のあちこちからヒルが・・・・ 杉峠〜国見峠経由で 男性会員が膝の痛みを訴える |
|||||
52 | 1987/7/27 | 1987/7/28 | 北アルプス | 白山 | 6名で |
多治見植物の会・8月特別例会 大白川登山口から アカモノの実・ホツツジ・ソバナ・オオバミゾホウズキ・ニッコウキスゲ・タマガワホトトギス・シモツケソウ・サンカヨウの実・クルマユリ・キヌガサソウなどなどまだまだたくさんの花に出会えた 2日目は雨・風 |
|||||
53 | 1987/7/30 | 1987/8/1 | 北アルプス | 針の木峠(蓮華岳へは行けず) | 3名で |
扇沢から入山 大沢小屋で泊(メンバーの1人が体調不良のため) 翌日は登りの途中で土砂降り 2人は12本爪アイゼン、私は無い 蓮華岳へ2人で向かったが強風のため小屋へ引き返す 4本爪アイゼンを購入して雪渓を降りる 快適! |
|||||
54 | 1987/8/22 | 1987/8/25 | 北八ヶ岳 | 東天狗〜硫黄岳〜横岳〜赤岳 | 3名で |
「しなの」利用 麦草峠行きバスで終点まで 北八ヶ岳は倒木と苔 最大の難関の横岳は、通り過ぎてみれば宝剣や槍ヶ岳ほどではなかった 阿弥陀岳との分岐からは夏と秋の花がいっぱい 赤岳鉱泉泊 高校生の団体と一緒になりそのうるさいこと! |
|||||
55 | 1987/9/15 | 鈴鹿 | 水沢岳〜岳峠〜宮妻峡 | 未踏グループ山行 | |
水沢峠〜水沢岳〜岳峠〜カズラ谷〜宮妻峡 笹の多いルート アキノキリンソウ・ママコナ・アキチョウジ?ホツツジ・モミジバハグマ・ヨメナの仲間 |
56 | 1987/9/20 | 鈴鹿 | 愛知川(公開山行) | 31名で | |
総勢31名 会員7名 3パーティーで 秋晴れ ハト峰から愛知川へ 味噌汁・コーヒーを作る |
|||||
57 | 1987/9/28 | 中央アルプス | 恵那山 | 3名で | |
黒井沢登山口から その登山口までが分からず、ぐるぐると探し回った 最後までたらたら道が続いた 頂上直下には木の香も新しい小屋があった 真っ赤っ赤のドウダンツツジも 約4時間で頂上着 『つまらない山でもないし、花の少ない山でもない いい所だし、楽な山といえる ただ、展望がよくないので、楽しみは少ない』 |
|||||
58 | 1987/10/10 | 1987/10/11 | 北八ヶ岳 | ニュウ〜茶臼山〜縞枯山〜北横岳 | 3名で |
女性3人白駒池でテント泊 テント生活の技術を学習 毎夕4時には気象情報を聞いて天気図作り 食器はお湯とお箸で汚れをこそげ落とし、キッチンペーパーで拭き上げるだけ 「男並みの荷物!」とか「女3人だけで!」の感嘆符のついた言葉が気恥づかしい |
|||||
59 | 1987/10/18 | 鈴鹿 | 霊仙山 | 7名で | |
定例山行 秋の花(ノコンギク・ミゾソバ・アキノノゲシ・ツリフネソウ・アキチョウジ・アキノキリンソウ・コウヤボウキなど) 柏原〜霊仙山〜汗拭き峠〜醒ヶ井養鱒場 バスの発車まで塩焼き・甘露煮・刺身・お寿司等で反省会 |
|||||
60 | 1987/11/8 | 鈴鹿 | 入道岳 | 5名で | |
秋晴れ 2時間で頂上着。1時間半で下山。おなかのすく暇もない程。 |
|||||
61 | 1987/11/22 | 1987/11/23 | 鈴鹿 | 御池岳〜鈴北岳(冬山合宿下見) | 3名で |
冬合宿の下見 5回目のテント泊 真の谷のテント場で 夜中猿が水浴びに来た? 霜柱でつるつる滑る |
|||||
62 | 1987/12/29 | 1987/1/1 | 鈴鹿 | 御池岳〜鈴北岳(冬山合宿) | 3名で |
冬山合宿 ザックが重くて重くて 雪なんてひとかけらもないのに重装備 いつもの50分までが我慢できず 2日目、雨に降られてUターン 3日目、雪にやっと出会えて登頂 |
1988年 憧れのスイスへハイキングに(初めての海外)
NO. | 山行年月日 | 山域 | 山名 | メンバー | |
63 | 1988/1/7 | 鈴鹿 | 御在所岳 | 4名で | |
裏道往復 頂上付近は樹氷 岩がごつごつしていない所ではアイゼンは有効 |
|||||
64 | 1988/1/31 | 鈴鹿 | 竜ヶ岳 | 7名で | |
宇賀渓〜ホタガ谷 稜線の木々は白い樹氷で桜が咲いたよう |
|||||
65 | 1988/2/28 | 鈴鹿 | 霊仙山 | 3名で | |
伊吹山スキー場情報は110cm 柏原〜 登山口から雪は足がはまり込むほど 1合目からパウダーシュガー状の雪 ツエルトの張り方講習 輪かん歩行も試して見る 愉快愉快! |
|||||
66 | 1988/3/30 | 鈴鹿 | 藤原岳 | 3名で | |
お花見山行 坂本谷〜大貝戸 坂本谷のフクジュソウは葉がふさふさ 天狗岩の辺りは見頃 走って下って1時間で下山 |
|||||
67 | 1988/4/25 | 鈴鹿 | 霊仙山 | 2名で | |
職場の同僚と2人で 柏原駅〜 足が重くなった・・・とのことで汗拭き峠へ下山 ニリンソウはちょっと早め |
|||||
68 | 1988/5/3 | 鈴鹿 | 霊仙山 | 2名で | |
醒ヶ井〜 柏原からのメンバーと北霊仙山近くで会えた 満員の中打ち合わせ不十分で申し訳ない 谷山谷へ下りる ハシリドコロ・イチリンソウ・ワサビ・ヤマルリソウ・フタバアオイなどがいっぱい |
|||||
69 | 1988/6/5 | 鈴鹿 | 藤原岳(清掃山行) | 6名で | |
清掃山行 期待していた花が少なく疲れる |
|||||
70 | 1988/6/19 | 鈴鹿 | 国見岳〜御在所岳 | 4名で | |
サルナシ・ヤマボウシ・タツナミソウ・ガンピ・ベニドウダン・サラサドウダンがいっぱい |
71 | 1988/7/19 | 海外 | スイスアルプス | ツアーで | |
初めての海外旅行 中学生の娘も一緒 アルプスのハイジになった気分 すばらしい展望とたくさんの花に出会えた感動の毎日 |
|||||
72 | 1988/8/21 | 鈴鹿 | 鎌ケ岳 | 2名で | |
公開山行下見 長石谷〜宮妻口 ホトトギス 水量が多く岩の頭を見つけるのに迷う 赤とんぼの群れ 体にぶつかってくるほど 宮妻への下りはイマイチ |
|||||
73 | 1988/9/15 | 鈴鹿 | 鎌ケ岳 | 11名で | |
公開山行は天候不順のため中止 その代わりの山行 ヤマジノホトトギス・アキノキリンソウ・ミヤマママコナ・テンニンソウ・トリカブト・ツルニンジン・ミズヒキなど秋の花 |
|||||
74 | 1988/10/3 | 鈴鹿 | 釈迦ケ岳 | 2名で | |
羽鳥峰〜庵座の滝 羽鳥峰からは笹が難儀 セブン・マウンテン達成 |
|||||
75 | 1988/10/23 | 中央アルプス | 恵那山 | 6名で | |
黒井沢登山口から 右も左も紅葉真っ盛り 登るにつれ枯葉色の山になってきた カラマツ林では、風が吹くとパラパラと音がして落ち葉が積もる 頂上の展望はよくない 富士山も見えず |
|||||
76 | 1988/10/30 | 鈴鹿 | 鎌ケ岳 | 3名で | |
清掃山行 前日御在所岳は初冠雪 みぞれー雨の中下山 |
|||||
77 | 1988/11/23 | 鈴鹿 | 藤原岳 | 6名で | |
大貝戸〜聖宝寺 子供も一緒に 元気のいい子供にはショートカットを勧める 豚汁にコーヒー・バームクーヘン・きゅうりまで出る |
|||||
78 | 1988/12/11 | 鈴鹿 | 国見岳 | 6名で | |
国見尾根〜裏道 リーダーから地図と磁石を使って「今どこでしょう」のお勉強 ザレを過ぎる頃から雪 |
1989年
1989年4月、田舎の父のもとへ勤務先を替え、世話をすることになった。
山から足が遠のいた。
毎月送られてくる会の通信で励まされいつかまた登れる日がくることを願っていた。
NO. | 山行年月日 | 山域 | 山名 | メンバー | |
79 | 1989/1/2 | 鈴鹿 | 藤原岳 | 5名で | |
大貝戸往復 リーダーの早いこと! 8合目手前から急に雪が増える キツツキにご対面 わかん歩行・ピッケル歩行・滑落停止の学習会 わかんを借りて体験 |
|||||
80 | 1989/1/15 | 鈴鹿 | 霊仙山 | 5名で | |
柏原往復 4合目からの尾根が寒い寒い 雪はなし 避難小屋で待つが寒い寒い |
|||||
81 | 1989/8/16 | 北アルプス | 蝶ガ岳〜常念岳〜大天井岳 | 2名で | |
上高地から入山 蝶ケ岳ヒュッテ・大天荘に泊 中房で土砂崩れ・通行止めの情報 有明荘からタクシーで現場まで そこから乗り換えてタクシーで穂高駅まで |
|||||
82 | 1989/11/3 | 鈴鹿 | 愛知川 | 単独 | |
名古屋の「新婦人」の人たちとの山行 8:12発の電車を8:22と勘違いし乗り遅れ おまけに計画書のない山行だったので山名もコースもうろ覚え 川へどぶんと落っこちたり、バスがなくてタクシーを行き帰り頼むなど苦労したが結局会えずじまい |
|||||
83 | 1989/11/23 | 鈴鹿 | 藤原岳 | 2名で | |
坂本谷〜聖宝寺 稜線手前の曲がり角から雪 中電の近道を通って頂上へ |
1990年 赴任して2年目 少し慣れたので山行も増えた
日本勤労者山岳連盟が募集した「天山山脈トレッキング」に友人と参加して、カザフスタんへ
NO. | 山行年月日 | 山域 | 山名 | メンバー | |
84 | 1990/4/22 | 中央アルプス | 南木曽岳 | 11名で | |
南木曽駅からタクシーで林道終点まで バイカオウレンばっかり 見晴らし台から中央アルプス・南アルプスが白銀に輝いて見える 下りは腐った雪道 ミツバツツジ・ショウジョウバカマも |
|||||
85 | 1990/5/3 | 鈴鹿 | 藤原岳 | 7名で | |
ヤマブキソウとイチリンソウ・オドリコソウがいっぱい ニリンソウ・アマナ・コバイモ・カタクリは盛りを過ぎている |
|||||
86 | 1990/5/20 | その他 | 池田山 | 3名で | |
定例山行 昨日までの雨で、川はゴーゴーと流れ、崖からはシャワーのように水が降って来た 垂井峠までの半分は、小型パワーシャベルと小型ブルドーザーで道幅が広くされていて山道の感じがしない |
|||||
87 | 1990/6/3 | 鈴鹿 | 御在所岳(清掃山行) | 5名で | |
清掃山行 セブン・マウンテンとも一緒になり大混雑 シロヤシオは遅め 豪華焼肉パーティー |
|||||
88 | 1990/6/17 | その他 | 津坂〜日坂〜谷山〜六合 | 7名で | |
揖斐駅のタクシーは出払っていていつになるか分からない・・・と 「津汲車庫前」行きのバスがあったので、予定コースの逆で行くことになった 右足小指にマメができ、早く歩けなくなった 右足親指にもマメ 「荷物を持ちましょう」といわれたが「歴史に残るから」と断る |
89 | 1991/8/10 | 1990/8/20 | 海外 | ソヴィエト・カザフスタン | 労山の企画で |
日本勤労者山岳会創立30周年記念に企画されたソヴィエトの山旅 広大な土地が有効利用されていないことが、また、社会主義の国なのに貧しいことが不思議 今日はどんなハプニングが待ち構えているか、毎日はらはらどきどきの旅 日本はサービス過剰気味の国だと思いながら、その恩恵にあずかっている |
|||||
90 | 1990/9/15 | 1991/9/16 | その他 | 御嶽山 | 4名で |
田の原へ着くと凄い暴風雨と雷 そのうち風の勢いも弱くなったので出発 二の池近くで泊 二の池〜賽の河原〜魔利支天の頂上直下〜三の池〜飛騨側頂上〜濁河温泉へ下山 |
|||||
91 | 1990/10/14 | その他 |
くろそ山 | 3名で | |
名張駅からバスで中太郎生へ 道路が決壊して途中で下車 雨の中傘を差して出発 豪華焼肉昼食の宴 霧で何も見えず |
|||||
92 | 1990/11/3 | 鈴鹿 | 鎌ケ岳 | 2名で | |
三ツ口谷を忠実に登ってガレへ 帰りは長石尾根〜三ツ口谷 中腹の紅葉が見頃 |
|||||
93 | 1990/11/12 | 北八ヶ岳 | 横岳〜双子池〜蓼科山 | 5名で | |
ピラタス・ロープウエー利用 北横岳ヒュッテからちょっとした登りで白銀の世界になった 風が強く頬が痛い 大岳との分岐からは下へ下へ 双子池ヒュッテは満員 夕食はシャブシャブ鍋 |
94 | 1990/11/25 | 鈴鹿 | 仙ケ岳 | 10名で | |
亀山駅からタクシーで登山口へ 途中で二手に分かれる 見慣れたいつもの鈴鹿とは違う風景 |
|||||
95 | 1990/12/23 | 鈴鹿 | 藤原岳 | 2名で | |
坂本谷〜聖宝寺 中電の分岐から雪が多くなりツボ足で 避難小屋からはどろどろべたべた |
|||||
96 | 1990/12/29 | 1990/12/30 | 北八ヶ岳 | 北横岳〜縞枯山〜高見石〜渋の湯 | 2名で |
夕食付きで縞枯山荘で泊 翌朝、自炊室の温度が低くお湯が作れず アイゼンのおかげで急な登りも楽々 縞枯山からはルンルンの尾根歩き 左右はみんなクリスマスツリー 積雪期の方が早く歩ける 渋の湯温泉で入浴 |
1984年〜1990年はこちら | 1991年〜1995年はこちら | 1996年〜2000年はこちら |
2001年〜2005年はこちら | 2006年〜2010年はこちら | 2011年〜現在まではこちら |