怪我で入院・・・ 立山 五色ケ原 |
平ノ小屋から 船で黒部ダムまで送ってもらった |
●場 所 | 富山県立山町 | |||||||
●標高 | 一ノ越山荘 2700m 五色ケ原 2500m | ||||||||
●山行日 | 1991年7月27日〜7月29日 | ||||||||
●コース | 室堂〜一ノ越山荘〜五色ケ原山荘〜平ノ小屋〜黒部ダム〜扇沢〜信濃大町病院(入院) | ||||||||
●多治見から 登山口まで |
JR多治見駅ーJR名古屋駅ーJR富山駅ー富山電鉄に乗り換え立山へ⇔ケーブルカーで美女平へ⇒バスで室堂ターミナルへ(登山口) ※ー鉄道 =自動車 ・・・徒歩 ⇒バス ⇔その他 |
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●参加者 | 林、丹羽 | ||||||||
●コースタイム | 1日目 7月27日(土)
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一ノ越山荘は、悪天候のため停滞を余儀無くさせられている登山者大勢のため超満員。
うるさくて眠れない。4:00を待って朝食に降りる。 外はガスととすごい風。 山荘の前を左に折れ石垣に沿って登る。 ゴロゴロした道を先に立って歩く。 ピーク。室堂からの合流地点のそばに富山大学研究所。そこからは下り。 岩ゴロゴロの急な下りで石につまずいて転倒(たぶん) 同行者の話では、「一瞬体が宙に浮いてそれからドサッと落ちたそうだが、そのときの記憶はなし。 気がついたら頭が下で、ザックの重みで下へ引っ張られながら、それ以上落ちまいとして、必死で岩にしがみついていた。 起きようにも足元が不安定で起きられず「ザック取ってくれる?」と頼んで、ザックを外してもらってからやっと立てた。 その時は、左のあばら骨から下腹へかけて痛みがあったが、暫く休むうちに痛みが薄らいできたので、手伝ってもらってザックを背負い歩き始めた。 鞍部の平らな所へ降りたところで休憩。 「30分たって休まなかったからかな?」なんて言いlながらジュースを出したが、全部は飲めず。 ところが、しばらく歩いてみたが(たぶん龍王岳への登り)、気持ちが悪くなって吐き気を催したのでまた休みを貰う。 トイレへも行きたくなったのでガスに紛れて用をたす。 その時粘っこい血尿。「あっ、ヤバイ」と思って、「あまりいい話じゃあないけど…」と報告。
一時的であることを願って「ゆっくり行くわ」と腰を上げる。 ところが、段々とおなかの中の方から痛みがジワーッと出てきて、一歩踏み出すごとにおなかに響くようになってきたり、気持ちが悪いと言ってゲーっともどしたり、行き交う人にあいさつを返す元気もなくなり、ただ、ただ、前へ前へと歩くことだけしか考えられなくなってしまった。 雪渓の長い下りも、同行者がアイゼンを着けたことは覚えているが無我夢中で通過。 「ライオンに似た岩があるからこの辺りが獅子岳?」と、妙な所ではっきりしたり、花だけはしっかり見ていたりで、頭の中は『思考能力が落ちた状態』 やっとのことでザラ峠。 この間、何度も吐いては、同行者に水筒を貰い口をすすいだ。 ここからは、五色ケ原への登りで、下腹がキュウッと締まるように痛くなり、つい口から「痛い。痛い。」と出てしまう。 しかし、こんな雨の降っているところで休んでいても仕方がない。「とにかく小屋まで」と、そればかりを考えて歩き始める。 ガスの中から木道が見えてきて「このまま歩いて行く先に小屋がある」と喜びが湧き起こる。 建物が見えやっとこれで休めると思ったのも束の間。 トタンが剥がれていたりで、とても人が住めるようには見えず、またまた歩かなければならない(2、3日来の強風で壊れ、修理もできずの状態だった五色ケ原ヒュッテだと後でわかった) やっと五色ケ原山荘に着。倒れこむように座り、靴紐をほどく元気もなく同行者にやってもらう。 乾燥室のストーブの前で座り込んだが、お布団を敷いてもらって移動。 「寒い、寒い」と言ってお布団を3枚も掛ナてもらったり、ストープを焚いてもらったりしてやっと暖かくなる。 着替えをしたせいかもしれない(どちらが先でどちらが後なのか記憶がぼやけている) 「おなか空いたでしょう。食べててね。」と、同行者に声をかける。 「うん、ビールも飲んでるよ。」「良かった。」と言いながらまたウトウトしたり、山岳警備隊とのやりとりを「うん、うん」と聞きながらまたウトウトしている。 決定的だったのは、トイレでの多量の血尿を見た時。「あ〜っ、これはもうだめだわ。」と思い、小屋の人に「どうですか?」と聞かれ、「おしっこが真っ赤だったわ。」と答えてから慌ただしくなった。 「このまま泊って様子を見るか・ヘリを頼むか(ガスと風でだめ)・担いで下るか(歩く元気があるからだめ。おなかを縛るからかえって良くない・痛み留めを飲んで今日下山するか」と判断を迫られる。 手遅れになったらどうしようという考えが強くなる。 今、この時間でぎりぎり。これ以上遅くなると暗くなって無理と言うことで下山に決める。
荷物を背負って玄関へ出ると「そんな物持っていては・‥」と言う小屋のおじさんに、「でも、ここまで担いで来たんですから」と言うと、「ヘリコプターのついでに乗せていってもらうから置いときなさい。」ということで、保険証とヘッドランプと(新しい電池に替えて)ハンカチだけを持って出発。 所が、先ほどあんなに痛かった痛みが小児用バファリンを飲んだおかげで嘘のように消え、喋る元気も出、「こんなに痛くなくては、警察のおじさんに申しわけない」とか、引き返して荷物貰ってこようかしら」とか「山行が続けれそうだ」とか楽天的になってきた。 五色の小屋から雪渓に向かって下り、足跡を頼りに雪渓を渡り、ペンキを目印に行く。 池塘があちこちに散在し、チングルマ、イワカガミ、イワイチョウなどがあちこちこ咲いている。 テント場も、声だけ聞こえていたのがだんだんはっきり見え始めた。 視界数メートルだったのが、さ〜っと遠くの山まで初めて見えた。 パラパラだった雨が、そのうちザーッと降り出した。 今まで多くても水溜まり程度の登山道が見る見るうちに水かさが増え、飛び石伝いの歩き方もできなくなって高山植物を踏んで、登山道でない所を歩くことになってしまった。 高原全体が池塘になってしまったようなズプズプの所まで大周りして歩いてみたが、とうとうとう立ち往生してしまった。 ゴーゴーと水が流れ、深さも膝上くらいまでには来そうで足をすくわれそうになってしまい引き返すことにする。
あんなにくっきり見えていた山もまた、ガスの中に沈んでしまった。 山荘に戻り元の部屋に入り(お客が増えていた。多分無理を言って空けて貰ったのだろう。) 布団に潜り込む。 しばらくすると、小屋のオジさんが「医者がいた」と行って金沢大学の医学生を案内してきてくれた。 テント場に泊まる予定を「病人がいるから」と小屋泊まりを勧めたらしい。 年かさのリーダーが、「肋骨はどうか?、尿の色は?」などと聞き、雷鳥沢の診療所へ何度も電話をかけ、「血尿の色が鮮血でなくなってきているから悪い方へ進んでいるわけではないだろう。痛みがこない前に薬を飲んで(3〜4時間おきが2〜3時間おきへと間隔がせまくなっていった)明日5:00に一緒に下山しましょう」ということになった。 大人用バファリンは、何もおなかにいれていないと気持ち悪くなってしまうので小児用バファリンに頼る。 ウトウト眠り、同行者は学生さんや小屋のオジさんとの酒盛りに少し顔を出し、私は時間が来ると薬を飲みながら寝る。こんなことになってしまったが、せめて楽しんでいてほしい。
4:00起き、5:00発とする。 荷物は持って下りたいという私の希望で、着替え・貴重品だけを入れて背負い、同行者はその他の荷物を全部背負ってくれた。 ゆっくり先に行くということで二人で出発。 今日は日の出も見れた。久し振りの快晴。まだ登山道に水は残っていたが、流れるほどでもなく、昨日、Uターンした所も岩を跳んで行けるまでに減っていた。 後から来た学生さんに先を譲り、マイペースで行くと休憩をしながら待っていて貰えた。 「大丈夫ですか?」「ええ、何とか」・・・で後から付いて行く。 時間が気にならずドンドン歩く。同行者から「休みましょう」と声がかり、「あっ、そんな時間か」と思うほど。 ぎらぎらの太陽。青い空。白い雲。 「今頃は薬師に向かっていたのに」と、申し訳なく思ってしまう。 登山道は整備されていたが、ゴール寸前の山崩れでドキッとしたが平ノ小屋到着。 荷物が重い同行者は、足場の悪い所を通るときはひやひやもんだったろうと思う。 警備隊依頼の船頭さん(小屋のご主人)は、どこかで魚釣り中。こんな早く下山できるとは思っていなかったらしい。 定時の船(針の木の方へ行く人のため対岸まで無料で運ぶ)は、10:00発。 その後でと言うことで座って待つ。 奥の方のズーンとした痛みだけで、なんだか申し訳ない。
10時が近付いたので金沢医大生を見送り、階段で待ってから乗船。 モーターボートでは揺れがひどいからと、大型の船に乗せて貰う。 「ウウッ」とくるほどエンジンの振動がおなかに響き、ついつい横になってしまう。 ダムに着いて、ザックを同行者に持ってもらい、高い高い階段を上って切符売り場まで行くと、既に駅員さんに話していてくれて、車椅子が向かえに来てくれることになっていた。 「ワァー、恥ずかしい」と思うもののお言葉に甘えて待つ。 トロリーバスの出発に間に合わせるため走る、走る。 「すみません、重くて。」と声をかけるが、答えは「いやいや。」 でも、荒い息遣いが聞こえて来て申しない。 結構長い道のり。たくさんの観光客と擦れ違うのが嫌で下を向いているが、実際、振動がおなかに響き「イタッ。」と目をっぶっていたのも半分。 途中からもう一人応援に来てくださったが、二人分の荷物を持っている同行者(これが一番えらかったとか。小走りで走っても車椅子との間はみるみるまに離れて行ったとか)の応援。 トロリーの乗り場も特別な所から乗車。 駅長さん?も出ていろいろ話しかけてくださる。 同行者はまたまた切符を買いに走りギリギリで乗車。 少し移動して一般客を乗せゆっくりと(私のために)発車。 扇沢で下車。ここもすでに連絡がついていてタクシーが待っていてくれた。
総合病院へ行ってもらう。大町病院着。 病院にもすでに連絡してあったので救急ということで待たずに診察を受ける。 事情を聴かれて、すぐ点滴。ストレッチャーでレントゲン室でCTスキャン。 画像を見ながら入院と決まる。 点滴24時間・尿道カテーテル・絶食・絶対安静(上を見ているだけ・寝返りダメ・体を起こすもダメ) 8月14日、退院 10月には山に復帰できた。 |