高嶺(たかね)山 登山道は廃道になっていた・・・ |
●場 所 | 長野県下伊那郡平谷(ひらや)村 | ||
●標高 | 高嶺山 1573.6m |
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●山行日 | 1992年9月27日 | ||
●コース | セメント工場前広場〜沢沿いの道〜林道〜山頂をあきらめ昼食〜引き返す | ||
●多治見から登山口まで | 多治見=中央道=園原IC=平谷 ※ー鉄道 =自動車 ・・・徒歩 ⇒バス ⇔その他 |
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●参加者 | 林、佐藤、伊東、中山、丹羽 | ||
●コースタイム |
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ガイドブックの、「秋の花がいっぱい」の文に誘われ↓ 出かける。
多治見、7:25発。 園原ICから大川入山方面に向かう。 セメント工場前の広場に車を止め、10:00発。 いきなり秋の花・花の大群に出会い喚声が上がる。 ウメバチソウ、カワラナデシコ、ヮレモコウ、マツムシソウ、ノコンギクなど。 ところが、山につきあたり、右はイノシシの罠が仕掛けてあるので立ち入り禁止、 左はトタンで通れないようにしてあり、どこにも登山道の標識がない。 これから先の道を近くの人に聞いて見ると、答えは「林道」のこと。 そうではなく、「登山道は?」と聞くと左の方。 でも、「道は荒れているよ」の声。
トタンを跨いで谷へ下りる。 ほとんど消えかかっているが、小学校の集団登山の看板と ビニールテープに励まされ進んでいくと、二人連れの登山者が戻ってくるのに出会う。 きっと、道が分からなくなったからだろうと察する。 踏み跡を注意深くたどり、ビニールテープに気をつけて沢ぞいに登る。 腐った橋は避け、沢ぞいにどんどん行くと、踏み跡が消えてしまうこともたびたび。 しかし、ほかには道がないのでやっぱり沢に沿って行くと、 左手の山のほうへと登っているような跡がある。 男性メンバーに偵察にいってもらったけれど、 「多分こっちの沢を登ればいいだろう」ということで沢登りをするが、 行けども行けども尾根へ取り付く道がない。
やはり先ほどの道だったかもしれないとも思うが、今から戻るにはずいぶんと来ているので、 左の山を直登することにする。 木にしがみつき、這いつくばり、ぐんぐん登るとしっかりした登山道にふいっとでた。 地図からいっても、この道で良さそう。 ほっと一安心して休憩を取る。 例の古びた小学校の標識もあるので、間違いではなさそうだが、 いくら行っても咲き乱れる秋の花々がない。 おかしいおかしいと思っているうちに林道に出てしまった。
ガイドブックの地図には、この先まだ林道はできていないのに、 なんと立派な舗装道路ができ上がっている! 登山道は林道を横切って叢の中に入っていっているが、 この林道、この先どうなっているか知りたい!ということで林道歩きを始める。 と、延々頂上まで伸び、頂上には屋根つきの立派な家まで見え、 すっかり開発されてしまっている。 「こんなことなら、きっと上ではビールも売っているよ。 いったい私の苦労はなんだったの!」とがっくり。 (その屋根は、牛舎だとあとでわかった) 林道歩きではなかなか着かないし、こんな道を歩きに来たわけでもないので 途中から山へ入ることにする。 やはり、先ほどの道と合流してどんどん尾根を歩いて行くと、またまた林道に出る。
ところが、登山道はここでおしまい。 あちこち探しても、結局はフェンスにぶつかってしまう。 (そのフェンスは牛の脱走防止だって) 12時も過ぎているし、ここから林道を歩いて頂上までは30分はありそうなので もうここで宴会とすることに決定。 林道脇の広場に座り込み、大スキヤキパーティーを開く。 そのために持ってきたビ ールで「かんば−い。j 山仕事のおじさんたちがお昼の休憩から帰ってきたので、 いろいろ情報を聞くと、 「村の開発事業のため登山道は廃道になった」よう。 何と残念なこと!
おなか一杯で下山。 あっというまに林道出合い。 ところが、左手の沢へ下りる道がはっきりしないまま、どんどん下っていくと、 どうも尾根の反対側に出そうなので、少し戻り尾根を進むと またまた踏み跡がなくなってしまう。 先ほどいったん下りかけたところまで戻ろうかと提案したが、 何とか沢へ下りれそうだし、見たような景色だったので下りかけると、 なんとあの腐った橋の所に出ていた。 あとはずるずると滑り下り、沢で顔を洗いさっぱりとして車まで戻る。15:30。 不完全燃焼を昼神温泉で癒すことにした。 |