初登り 藤原岳 |
藤原山荘前で |
●場 所 | 三重県茅野町 | |
●標高 | 御在所岳 1212m |
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●山行日 | 1992年1月5日(日) | ||
●コース | 西藤原駅・・・白瀬峠・・・避難小屋(藤原山荘)・・・大貝戸登山口・・・西藤原駅 | ||
●多治見から 登山口まで |
JR根本駅ーJR名古屋駅ー近鉄冨田駅・・・三岐鉄道に乗り換え西藤原駅へ・・坂本谷登山口 ※ー鉄道 =自動車 ・・・徒歩 ⇒バス ⇔その他 |
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●参加者 | 伊東、林、丹羽、中山 | ||
●コースタイム |
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いつもの時刻、いつもの電車。 電車から見る山々はうっすらと白化粧。 西藤原駅、9:15発。 登山口までの道は、所どころ溶け忘れた雪の山。 坂本谷登山口着、9:42〜9:45。 川を渡ってからはずっと雪道。雪の重みで木が道を塞いだり、 邪魔をしたりして歩きにくい。 押し退けたり、跨ぎ越したりする。
段々雪が多くなってきたので、スパッツを着ける。 初めての経験となるメンバーもいる。 前の人の足跡を辿って行くのだが、それでもズボッとはまり込んでしまうこともある。 雪の表面は固くてざらめ状。 ストックを貸したので、段差のあるところでは両手を使って「よいしょ」と体を持ち上げる。 夏道とはずいぶん違う道を歩くようになっている。 谷の左側へ、また右側へ。 一度道を外すと修正するのも一苦労。 ラッセルの真似ごとをして登山道へ出る。
滝状岸壁の辺りから雪も多くなり、岩と岩の間に足が入り込み なかなか抜けないこともある。 トップで歩いているせいかえらくない。 だんだん谷がなくなる頃、看板を目当てに歩く。 あった。ずいぶん折れ曲がってしまっている。 この頃から、太陽が頭の上になってきて眩しくなる。 サングラス休憩。
曲りかどのコンクリートは全部雪の下。 ここから直登の足跡もあるが無視。 すると、先ほど追い抜いて行った男性が、「白船峠の手前までラッセルしたけど 雪が深くなったので帰ってきた」と。早いこと。 日があたっているところの雪はべたべただったが、 十字路からは雪質ががらっとかわって固くしまってきた。
ぐるっと周り込んで暫く行くとばったり足跡がなくなっている。 ここでUターンしたらしい。 ここからトップを男性に代わり、下山までそのまま。 赤テープなどはあちこちに付いて間違えようはない。 水場(涸れているが)の手前で、点々とした血の跡? 上の斜面から下へと続いている。 登山口付近でであった猪狩りの猟師たちのせいか? 時々鉄砲の音や犬の声も聞く。 もしかして、手負いの動物?
水場からは踏み跡もある。 途中すれちがった青年はどうも近道を通ったらしい。 こ の道は今日初歩きと言うわけ。 白瀬峠へ着。12:50〜13:00。 白瀬峠で ここから避難小屋(藤原山荘)まで1時間半くらいかな?と話し合い、 「そこでお汁粉はちょっとね、時間がないよ。 また家まで持って帰るなんて丹羽さんかわいそう」と笑い合う。 林の中の稜線でも、結構風が吹き寒いのでジャンパーを着る。 鉄塔の近くの笹原・すすき原に来ると、突然雪が深くなり足の付け根まで潜る。 鉄塔のある稜線で すぐ目の前に鉄塔の足が見えるのに、そこまでがなかなか行けない。
パノラマ写真の出番。 でも、向こうに見える山々もうっすらとしか雪がかかっていないように見え 白銀の世界とはほど遠い風景。 寒いので早々に出発。 ここからは以前、道を外したこともあり、要注意の場所。 トップの男性は、慎重に赤いテープに忠実に歩き、 足がはまり込もうが腰まで入ろうがどんどん雪を掻き分けていく。 まだまだこんな状態が続きそうなので、雨具のズボンを履くことにする。 これでどんな深い雪にも安心して入って行ける。 峠から1時間半と予想していたが、2時間かかってやっと避難小屋(藤原山荘)に着。 15:00〜15:05。 写真を撮ってすぐ下山。
「3時にまだうろうろしているなんて近頃無いことだね」と言い合い、 暗くなるのと競争で下山する。 こちらの道は、よく踏まれていてつるつる。 「アイゼンを着けようか」「うんいいね」という事でアイゼンワークの練習もできる。 これで滑る不安もなく、引っ掛けることだけに気をつけて降りる。 8合目を過ぎたらすぐ、ぐちゃぐちゃのどろどろになりアイゼンを外す。 時間が遅いのでと表道に変えたが何ともはや、嫌な道だこと。 あの真っ白の坂本谷の雪道が懐かしい。 茶色の雪で滑らないよう、こけないようにとかえって気を追う。 西藤原駅着、16:45。 日没までには着いた。 17:25発の頃は、もう外は真っ暗。 |