大雪の 坂本谷テント泊


   ●場 所 三重県藤原町
   ●標高 1144m
   ●山行日 1994年2月11日(金)~12日(土)
   ●コース 西藤原駅~坂本谷登山口~テント設営(泊)~坂本谷登山口~西藤原駅
   ●多治見から登山口まで JR多治見駅ーJR名古屋駅ー近鉄富田駅ー三岐鉄道西藤原駅・・・坂本谷登山口
 
※ ー鉄道 =自動車 ・・・徒歩 ⇒バス
   ●参加者 林、伊東、丹羽、中村、中山
        周辺地図はこちら  



1日目 2/11(金)

今年の雪は多く、伊吹山120cm、御在所120cmなどと
スキー場便りに書いてある。

本当のところ、どれだけ積もっているかわくわくしながら当日を迎えた。

冬山用のシュラフが重くかさ張って、ミニバイクの前に置けず、
荷台にくくり付けようとしても乗り切らず、今からタクシーを呼ぶこともできず、
ゆっくり走らせるこ とにして背負う。

バランスが取れなくてふらつくがだんだん慣れてきた。
(次からは、分散して乗せることにしたら、まあ快適となった)

前日、林さんも、伊東さんも風邪気味との情報が入った。

最悪の場合、3人で日帰りをするつもりで名古屋駅に行くと、
調子の悪い2人がきていた。

前夜、伊東さんが高熱で苦しんでいる夢を見て、
ほとんど諦め覚悟していたのに、だいじょうぶか?

いつもの電車は、やはり登山電車
わがパーティーのザックが一番大きい

名古屋は晴天だったのに、山に近付くにつれ太陽が見えなくなり
山も隠れてしまっている。

山は雪か?
畑や道路の雪も段々多くなってくる。

9:15、西藤原駅発。10:00、坂本谷登山口発。

雪が多く、見慣れた景色の上にもこもこと雪が積もっているので、
鈴鹿でありながら北八ツ辺りの風景になっている。

川に降りてからすぐ右手に道を取るのだが、
大雪のため先人の通った道を取るのが精一杯。

足跡の通り川に沿って暫く行ってから、右手の山に取り付いた。

しかし、あまりの 雪の多きに、果たしてこれが通常のルート通りなのか、
それともまったくの冬道なのか分からず、足跡を辿っていく。

しかし、あまりの急登に「これは通常ルートではない」と確信したが、
さてといって新しく第1歩を付けるなど不可能も甚だしい。

やむなく木に掴まり・枝を掻き分け、トラバースして急坂を降りると、
岩屋の辺りに出た。

なんと、ここへくるまでに1時間も経っていた。(普通は15分)

男性2人が休んでいて、あの高巻きの道は彼等が作ったらしい。

前方に3人パーテ ィーがいると聞いて、通常のルートを辿って行くと
3人パーティーを発見。

今日、先頭でラッセルをしてくれた人達
「ありがとうございます」とお礼をいって、未踏パーティ ーが先頭に立った。

赤いテープを探しその方向に行こうと足を踏み出すのだが、
腿やおなかの辺りまでくる雪を踏み固めようにも、
さくさくの雪で何度足で踏み付けても足場ができない

左側の方が良さそうに思え左へ行ってみるが、そこも同じような雪の吹き溜まり。

がむしゃらに突き進むしかない。

両手にピッケルを持ち、雪を胸のほうに掻き寄せ
膝でぐっと雪を押し一歩前に進み、また同じことを繰り返す


段差があるらしく苦労してやっと一登りする。

ここで手間取っているうちに、
後ろから単独行の男の人がフットワークも軽やかに
「ちょっと遊んでくるわ」といいルートを付けてくださる。

ナイス!
その後を一団になってついて行く。

しかし、すぐ息切れがし、次と交替。

しばらく先頭でラッセルしてまた次と交替・・・を繰返すうち、
滝状岸壁に辿り着いた。

ここからばさらに急登になるので、「空身になったら」のアドバイスで
ザックを置き雪を掻くと楽々と進める

どちらかといえばザックを背負って前の人の後を歩いてい るより、
空身でラッセルしているほうがおもしろいし楽。

滝状岸壁の中ほどで「交替してください」と言って最後尾に付き
ザックを取りに行く。

未踏の5人のほかに、2人・2人・1人のパーティーも一緒になって
順繰りにラッ セルを始めた。

そのうち置いてきたはずの「ザックが登ってきた」といわれ、
?と思っていると荷物のない男の人が背負って上がってきてくださり、
それからは順にラッセルする人の荷物を担ぎ上げることになり
能率が一段と良くなった。

そろそろ、看板の辺りかと思うけれど、稜線に出るにはまだまだ時間が掛かり、
行動時間のリミット15時半。

両側とも平らなところはないが、なんとか整地すればテン トを張れぬ事もないと判断し、
リーダーから「ストップ」と声が掛かる。

左側の斜面を少し上がって、ほかよりは平らと思えるところの整地に掛かる。

まず、 スコップで敷地を広げる。
低い方に雪を送り、足で固める。
幾ら固めても固めても沈む。
高い方を削り低い方へ送る。
雪のブロックの固まりを切り取り低い方に築く。
なかなかできない。。

約2時間掛かってやっとテントも張り終えた

下に置いておいた荷物を上げてもらい、トイレ作りに励む。

夕食の楽しみは、歓談とアルコール。

頭と足を交互にして寝る。
身動きできないほど。

20:20、就寝。


2日目 2/12(土)

5:50起床。
すぐ朝食の用意。
雪が積もっている。

食べ終わろうとする頃、どどっという音。?? 
雪崩? ウッソー?
テントを開けて外を覗くと、入り口の半分は雪に押されて隠れた状態。
ワアオー!

ザックがあるのでかろうじて雪が止めれているが、ザックを外したら
どどっとテン卜を押し潰しそう

また、何時雪崩が起きるかもしれない。はやく撤退しなくてば

伊東さんが、「僕が雪を退けてくる」といって素早く身支度をして外へ出て行った。

まず、スコップを探し、入り口の雪を退け、テントを押している雪を退けと大奮闘。

テントを片付け帰る準備を始める。

中村さんのピッケルが見付からないので、あちこち雪を掘って探しやっと見付けれた。

昨日のラッセルの道は、うっすら跡を残すだけとなっていた。

しかし、下りはらく。
どんどん下ってしまう。

家へ帰ってくると霊仙での遭難騒ぎが報じられていた。


 「山行記録1991年~1995年」に戻る

  トップページへ戻る