冬の北アルプス 冬山初心者用の山へ |
燕岳 (宮城〜中房温泉〜燕山荘往復) |
朝焼けに輝く燕岳 燕山荘前から 振り向いて燕山荘を見上げる 下山の途中に |
●場 所 | 長野県南安曇郡穂高町 | |||||||||||
●標高 | 2763m | ||||||||||||
●山行日 | 1995年12月29日〜31日 | ||||||||||||
●コース | 宮城ゲート〜中房温泉〜合戦小屋〜燕山荘 |
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●多治見から 登山口まで |
多治見駅ー松本駅ー穂高駅=宮城ゲート ・・・中房温泉 ※ー鉄道 =自動車 ・・・徒歩 ⇒バス |
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●参加者 | 林 丹羽 | ||||||||||||
●コースタイム | 1日目 12月29日
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地図はこちら |
多治見から普通で松本へ。「しなの」に乗ってきた同行者と合流して、大糸線へ。 穂高に9:49着。すぐタクシーに乗車。 雪は降っていないが、田畑や屋根には雪。大通り以外の道には雪。 約15分でゲート前に着。身支度して10:25発。 林道は除雪車が通っているらしく、夏道と変わらない歩きやすさ。 日ごろの鬱憤を全部吐き出し、山の精気を吸い取り気力を充電する。 聞き役になってくれた同行者に感謝。
たらたらとした登りだが、何しろザックは頭の上を越し、頭の後ろがつかえて上を見上げられないほど。 だんだんと重くなってくる。 時々日は射すが雪雲が山の上の方の木々を粉砂糖を振りかけたように白くしている。 中房温泉までのコースタイム、冬には4時間とも5時間とも聞く。 人影はなし。聞こえるのは小鳥の鳴き声と猿?の声。 それにボタッ、ボタッと木から落ちる雪の音だけ。 暑い。汗を拭き拭き歩く。
荷が重いので50分ももたず、30分ほどで休憩を取ることにする。 11::00、11:40,12:15、13:15、13:40、14:20と約5分の休憩を取り、やっと14:55、中房温泉に着。 地熱のせいか?温泉の近くになると雪がなくなった!。
通された部屋は薄暗くて寒く、湿っぽい。コタツ布団を外し、布団を敷く。 シーツは糊が効いた新しいものを使う。 掛け布団も、糊の硬いあまり使用されていないものを選ぶ。 早速温泉に入る。 入り口は別だが、中は混浴になっている。 洗ったばかりだそうで湯量は少ないが熱くて熱くて、そろりそろりと入ってじっとして我慢をする。
コタツに入ってビールを飲み、湯冷めをしないように布団にもぐりこむ。 夕食は6:00から。早めに食堂のストーブの前に陣取る。お客は18人ほど。 お月さんがくっきり明るく見える。 もう一度温泉に入り(今度は湯量も多く、私好みの温度になっていた)、 天気予報を聞いてから就寝、19:00頃。
夜の間に雪が少し積もった。朝起きるとちらちら降っている。 せめて小屋までは行きたい。 自炊するつもりで持ってきた食料は預かってもらい、最低限必要なものをザックに入れる。 おかげで軽くなった。
同行者がザックを背負おうとして後ろを向いた時、ぎくっときてぎっくり腰になってしまった!! ストレッチなどをやりながら様子を見ていたが、行けないことはないようなので出発、 7:15。 とにかくゆっくり歩く。 すぐ登りになった。 段差が大きいと負担が大きいと思い、ストックを貸す。 右にピッケル、左にストック。楽だったそうな。
前にも後ろにも人なし。 雪はだんだん多くなり雪山らしくなってきた。 アイゼンは足が重くなり腰に負担がかかるからと、敬遠するので私も右へならえ。 8:00、第1ベンチ下で休憩。 8:35、第2ベンチ下で休憩。 8:55、第2ベンチ通過。バナナチップを食べている男性を見かける。 あとで、ジェフリー・バブさんと分かる。 9:13、第3ベンチ下で休憩。 9:50、第3ベンチ上で休憩。 10:33、合戦小屋下で休憩。 下りにアイゼンをつけているパーティーとすれ違うと、せっかく歩きやすくなっている階段状の雪が無残にもつぶされ、つるつるになってしまう。 私だけアイゼンをつける。歩きやすくなった。
11:35、合戦小屋着。 この手前から風が強く吹き始め、踏み跡が消されていく。 林さんもアイゼンを着ける。 靴底にいっぱい雪がついて固まっているのでつけるのに苦労する。 その間にも、雪の混じった風は目も開けておられないくらいに吹き付ける。
後ろから5人パーティーが来た。アイゼンを着けている。 3人の若者パーティーが強風のため引き返してきた。 2人パーティーは、ツエルトを被ってアイゼンを着けている。 11:55、用意ができたので出発。 うっすらと踏み跡が見える程度で、ほんのちょっと前に3人パーティーが引き返した踏み跡も定かではない。 勘を頼りに登り始める。
新しく雪の中に道をつけるのは大変。暑くてえらくてなかなかはかどらない。 ピッケルはずぼずぼで手応えなし。 12:30、誰か後ろから登ってこないか?と休憩がてら待つ。 2人来たので喜んでいたら、なんと・・・、腰を下ろしてしまうではないか。あれれ・・・。 実は後ろの3人を待っていたらしく、5人そろって登ってきた。ラッキー。 「ご苦労様でした。」とねぎらわれ、「ラッセルは任せてください」と頼もしいお言葉。 後を付いて行くってなんて楽なんだろう。それも休み休みだから、散歩の気分。
稜線に出ると、左から雪煙とともに吹雪いてくる。 女性2人は遅れがち。先頭の若者はぐんぐんラッセルしていくが後が続かない。 「どうぞ」といわれ、彼らの間に割り込んでしまった。 帽子のつばを下げれるだけ下げ、目出帽を上げれるだけ上げて、目を細めて雪が入らないようにして、ほんの少しの隙間からトレースを確認し、前の人を確認して歩く。
少し離れるとトレースが消えてしまう。 まったくのホワイトアウト状態だが、時々太陽が霧の中から覗くように、ぼうーっと白く見える。 稜線の上をたどっていけば、てっぺんに小屋があることは分かっているので、時々前方を見て確認しようとするが、はっきり見えない。
先頭の若者が休んでいる間、少しでも代わろうとトップに出る。が、すぐ追いつかれ先を譲る。 年配のリーダーらしい男性も、足の遅い女性をリードしたり、2番手を歩いたりして意気盛ん。 13:50、最後の登りらしい所で休憩。 小屋から2時間くらい経っているが、ラッセルの後ろをゆっくり付いていくのだから疲れてはいない。 その間に女性に追い越されたがまたすぐ追い抜く。
小屋の屋根が見えてきた。あと少し。 トップの若者は皆を待つらしく本館の影で風を避けている。 彼を追い越して、先へ進む。 冬は、ぐるっと回り込むことは知っていたが、新館との間から回り込んでもそれらしき気配はなし。 引き返して一番下まで行くと地図があり、もっと回り込むように描いてある。
吹き飛ばされそうなほどの強風が、砂混じりの雪を吹きつけているところを、ロープに沿って進むようになっているが、本当にこんな所を?と信じられない。 また戻って後続を待って後ろから付いていくと、やっと玄関に着。14:45。 アイゼンを外し薄暗い玄関に入る。 手続きをして蚕棚に案内される。2階の左下。
2つあるストーブの1つを占領して熱い紅茶を2人で分けて飲む。 濡れた手袋、オーバー手袋、目出帽などを根気よくひっくり返しながら夕食を待つ。 向こうのストーブはさっきの5人パーティー(写真家集団・・・とのこと) こちらは、人数が増えて、やはり写真家2人とアメリカの青年を合わせた5人。 今日は計10人が泊り客。
バブ君の愉快な話を、熱燗を半分に分けて飲みながら楽しく聞く。 『ニューヨーク出身。日本に来て2年8ヶ月。 静岡のホテルでアルバイト。夜勤をこなし、月連続3日間の休みが契約の条件。 日本人の彼女と卓球場で知り合い、1月1日は白馬のヒュッテへ向かう。 日本の山が好き。北海道から九州まで登り歩いている。 今日は磁石を頼りに西へ西へと歩いてきたが、途中北の方へ行きかけ軌道修正した。 登山口でテント泊。 小屋の近くで3時間かかってテントを張ろうとしたが強風のため諦めて小屋泊まりにした。 南アルプスが好きで管理を任せられている小屋があり、別荘として使っている。 漢字検定3級合格。名古屋で試験を受けた。日本語は独学。 明日は餓鬼岳へ行きたい』・・・などなど。 シュラフカバーとネックウオーマーとタオルのおかげで暖かく快適に眠る。 夜中風の音を聞きながら「下山は我々だけ。今日のような風と天候なら怖いなあ・・・」とあれこれ考えながら寝る。
「快晴だ!!」の声でわくわく。 6:00朝食。 外へ出ると、360度バッチリ見える。 燕も、富士山も、大天井への稜線も、昨日登ってきた結構な登りも、みんなみんなはっきり見える。 日の出 富士山が右のほうに小さく見える |
燕山荘の前から槍をバックに |
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同行者と写真を撮り合っているうちに、日の出。 写真家たちはこれを待っていたらしく、ずっと前からそれぞれお好みの場所でスタンバイ。 小屋のバイトさんたちは27日に登ってきてから始めての好天だとか。 |
大天井へと続く白い山並み |
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風は強く、頂上まで行って帰ると1時間半。 行きたいなあ・・・の思いはあるが、2人だけでは不安。 ま、散歩のつもりで出かける。7:00。 踏み跡は風に飛ばされはっきりしない。 バブ君は先へ行ったが彼のスピードに付いて行ける訳がない。 あっという間に姿は消える。 バブさんと一緒に
引き返す。 展望台でじっと待つ写真家の我慢強さに感心させられる。 この寒さ、この強風下でじっと何時間も待っているなんて・・・ またもや頂上を断念して下ることにする。 7:20発。ゆっくり写真を撮りながら。
コバルトブルーの空を背景にした小屋を振り仰ぎ、雪煙を撮りながら下っていく。 下から登ってくるパーティーとすれ違う。 こんなに早くどこから? どうも稜線につぶしてあったテントかららしい。 こんな強風の通り道に設営??!! 彼らは昨日登頂を断念したらしいと分かる。 前日の吹雪のため、尾根上で待機していたパーティーとすれ違う
続々とすれ違うパーティー。 彼らは合戦小屋付近からだろうか? 昨日、合戦の頭へ直登したルートではなく、右の方へと回りこんで登ってくる。 今日1番のパーティーの苦労は大変なものだろう、深い足跡が潜っている。 昨日のトレースは見事に消えて、新しい雪の上をずぼずぼ歩く楽しみがある。 雪煙をあげて流れる
こんなにゆっくり歩いても合戦小屋に8:25着。 樹林帯に入るとトレースはしっかりついてしまい面白みにかけてきた。 昨日とは打って変わった好天 好天下登って来る人に道を譲り、譲り、譲っても登山口に10:40着。小屋から2時間。 「天気がよかったでしょう。山が焼けていたでしょう。」などと羨ましがられながらの下山。 |
合戦小屋は雪の中 |
合戦小屋から下の樹林の中を下る |
下りは早い あっという間に稜線を見上げる所まで 下りてしまった |
だいぶ中房温泉に近づいた |
預けておいた荷物を貰い、 電車の時刻を調べてから温泉に入る。 1番目に入った温泉は、下のほうが水。あわてて他へ移る。 今度は南向きの明るいお風呂。 青空や、つららを見ながらのんびり入る。 外へ出るとばったりバブ君に出会う。 玄関先でビールを飲み、昼食をそこらで作ることにする。 バブ君と一緒に帰ることに話がまとまり、昼食の雑煮に誘う。 温かい風のない所で食事つくり。 乾燥野菜入りの雑煮。 パンと紅茶で締めくくり。 |
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長い林道も彼のおかげで退屈せず、歩調も合わせ楽しくゲートまで歩く。 『父親はイギリス人。10年前くらいにアメリカに帰化した。 妹はポーランド人と結婚。 いとこはカナダ人の森林管理人。 四国くらいの広さの森を管理している。 父親は失業中。母親は州の役所に勤めている。 大学を卒業してからハーレムの高校で生物を教えていた。 今の中学も高校もめちゃめちゃ。銃も麻薬も身近に溢れている。 校則はない。両親は貧しかったので5ドルで結婚式を挙げた。 高校卒業した日に、「家を出なさい」と言われた。 「家にいるなら家賃を払いなさい」と言われた。 大学は物理の仲間の4人で家を1軒借りた。入学金はない。 学費の2年間分は出してもらった。 両親は年をとると老人ホームに入るのが普通。子供と同居することは珍しい。 おばあさんはアルツハイマー。おじいさんは子供に頼らない。 老人ホームに入る貯金がないときは家を売って入る。 アメリカの基地は恥ずかしく思う。 いくら世話になったとはいえ50年はひどい。 アメリカがフランスに世話になったといって基地を許すことはない。』・・・などなど。
13:45、休憩。 14:40、観音峠で休憩。彼はこの字も読めてしまう。 15:50、ゲート着。 近くの「美峯(びれい)」で電話を借りて、タクシーを呼ぶ。 穂高の駅でバブ君と別れ、多治見へ。21:04着。 |