県連救助隊 積雪期の訓練に参加 越百山 (下山途中、滑って怪我) |
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県連の救助隊が積雪期の訓練を行い、一般参加者にも門戸を開くと聞き、参加を決める。 本来なら、1泊2日で、雪洞を掘ったり滑落停止訓練を行ったりするのだが、木曽駒とちがいロープウェー無しの越百山。 荷の重さを心配していると、救助隊メンバーから「日帰りという手もある」と聞き、それに便乗する。
早朝4:00土岐のパチンコ店の駐車場で集合となる。 バイクで土岐まで何分かかるか見当がつかず、3:00には出発する。 聞いていたとおりパチンコ店はすぐ見つかり、聞いていたように行くと一発で駐車場も見つかる。 救助隊メンバーの車に乗ろうとすると、「家の庭先に置いた方が安全」と言われ、後ろからついていく。 新興住宅地の中の1軒がそれ。3:50発。
途中、「道の駅」で休憩していると、中津川労山の救助隊メンバー2人とばっ たり会う。 そして、中津川労山の車1台で行くことになり、便乗。 越百山登山者用の駐車場に5:40着。身支度を整え、5:50発。
登山口に、6:30。 ここまでは4人一緒だったが、私の足にあわせてもらうのが申し訳なくて、中津川労山の2人に先に言ってくださいと勧める。 その後は2人。 私のスピードにあわせてもらえるので有り難いが、やっぱり申 し訳なく思い、やや早めに歩く。 下のコルで休憩。7:05〜7:10。 無線の連絡はつかず。 見慣れた景色の中を、時々現れる凍った雪に注意しながら展望台へ。8:10〜8:20。
ここからアイゼンを着けることになり、ストックとピッケルを交代させる。 アイゼンを着ければ安心。 上の水場からは傾斜が急になり、1歩1歩足を出す。 こんなに長かったか?、夏道とは違うルートができたのか?と思われるほどの長い登りの後、やっとトラバースに入る。
先程の休憩から1時間はたっているが、もう少しで小屋だと思い、ノンストップで小屋に着。9:35。 空は青く、眩しい白さの雪の上で休憩。 「私、ここまででもう十分満足。のんびり昼寝でもしたい気分」などといいながら座り込んでいる。 しかし、「そうもいかないわな」と自分自身に言い聞かせ、やおら腰を上げる。 小屋番の伊藤さんは、屋根に布団を干している。 彼は昨日山に入ったばかりとか。9:50発。 「訓練に参加するなら先に行って」と勧めると、いったんは早足で出かけたが、途中で木の株に座って待っていてくれる。 申し訳ない。気を使っているんだ。
頂上に10:50着。 救助隊の1隊が頂上の向こう側で滑落停止の訓練をしている真っ最中。 私は、今着いたばかりですぐに参加する気にもなれず、座って見学。 次は、2人組でザイルを使ったコンテの訓練。 同行して来たメンバー、参加。 2人で歩いていて、後ろの人が滑った!前の人は、ぱっとザイルを投げて体重をかけてストップさせるという技。 とっさに、できるだけ遠くへザイルを投げなければならない。 それも全部投げてはいけなくて、指に(どの指だったっけ?)かけているザイルは投げてはいけないというややこしい技。 滑ってしまえば、なかなか止まらないもんだねえ・・・と上の方から見学している。
次に、中津川労山の救助隊隊長が講師で、雪崩の講習。 雪の柱を掘り、ぐっと持ち上げるという いつもの方法。 私の作った柱は簡単に持ち上がってしまった。 近くで掘っていた人の柱はなかなか持ち上がらなかったりで、同じ場所でもこんなに違うのはなぜ?と考えてしまう。
次にゾンデ棒を使った捜索の仕方。 午前中に掘ったという雪洞を使って1人中に入ってもらい、人間の体にゾンデ棒があたった感触と固い雪にあたった感触の違いに気づくというわけ。 人間の体には、弾力があるし、雪にはそれが無いので、違いがよく分かる。 救助隊隊長の埋没実験の話を聞いて、今日の予定は終了。13:10出発。
すごく速いスピードで下山して何と小屋に13:25着。15分で着いてしまった。 テント泊の人たちはこ こにデポしておいた荷物をまたザックに詰め込んでいる。 伊藤さんから、ドリップコーヒーの差し入れを貰い、みんなで分けて飲む。 閉会式を行って出発。14:00。 「誰でもいいからどうぞ」という声で、いつものトップ好きの丹羽さんになって、歩いていく。 トラバース道が終わり、いよいよ水場までの急降下地点に入ると、救助隊隊長が横からどかどかと降りてきて話しながら下山という体勢に入る。
今にして思えばここで注意散漫になったなあと思う。 ついうっかり登山道を外して直進してしまったが、先に赤いテープがあったことに安心していたし、こういう直下降はよくやることだし、気が緩んでいたのだろう。 バランスを崩してツルッと滑ってしまい、あ〜っと思い滑落停止しようにもピッケルは脇が開いてしまうし、体は回転しないし、斜め下を向いたまま滑っていくと立ち木が見える。
「よし、あれに足をかけて止めてやろうと思い木に足をかけると、予想通りに体は止まった。 が、さて歩き出そうとすると痛たた・・・の状態。 様子を見にきてくださった瑞浪労山のメンバーにリードされて平らな所へ移る。
急を聞いて集まった救助隊の人からテープを貰い、同行者にテーピングを してもらい、(この前の例会でテーピングの講習を受けたが、こんな所で使うことになるとは!)痛み止めも貰って飲み、ストック2本で歩き出そうとするが、はかどらない。
救助隊隊長が「担ぎましょう」と言ってくださるが、「ええ一、50キロあるからいいです」と遠慮する。 が、やっぱり遅々として進まないからだろう、担ぐことに決定。 ザックを空にして、荷物を分散して持ってもらい、そのザックを背負子にして足を入れる。 軽々と担いで貰うが初めてのことで不安いっぱい。 「絶対後ろへ倒れませんから」と心強い言葉をかけてもらって出発。
何しろ登山道は雪が積もっているし、1人分の体重なら雪を踏み抜かなくても、2人分 となればずぼっと踏み抜き、ぐらっと体が傾く。 担がれている方も、肝を冷やす。 一度足が潜ってしまうとすぐには引き出せず、両側から引っ張ってもらったりしないと体が元に戻らない。
交代していくうちに、肩のところの紐が細くて痛いので、タオルや軍手をクッ ション代わりにしたり、胸のところをシュリンゲとカラビナで止めて肩から外れないようにしたり、交代する時にザックをお尻の下に敷いて椅子代わりにして足の負担を減らしたり・・・と、いろいろ改善されていく。 長くは担げないので1人10分くらいで交代することになる。 背の高いがっしりした人にはなんとなく安心感が生まれるが、小柄だったり痩せ型の人には、 大丈夫かしら、共倒れしないかしらと不安が先立つ。 行く手を邪魔する木の枝をよけたり、足元の雪を歩きやすいように踏み固めたり、後ろからザイルで確保したりと、担いでいる人以外にも仕事はたくさんある。
背負っている人の息遣いがだんだん荒くなっていくのが、すぐ後で「もろ」に分か る。 息を詰めたって軽くなるわけないのだが、担ぎ手が必死になっているのに私が楽々と背負われていては申し訳ないのでついそうなってしまう。 中津川労山は、、恵那山の避難小屋を作るために、材木を人力で持ち上げた経験があるが、他の人は皆初めての経験だという。 今回の訓練の中に搬出訓練も入っていたが、時間がなくてできなかったと聞き、こんな形で協力したくはなかったなあと落ち込む。
救助隊隊長には驚かされることばかり。 まず、アイゼンを使っていない。 アイゼンなしであの急な下りを、どうやって?と思うし、2回目の交代では、ストックもいらないと言って、私の足を持ち「この方が楽でしょう」と言い、ひょいひょいと走るように下っていってしまう、超人的な体力!!。 1回りして、2回りしてと順繰りに交代して登山口へ。
ここでしばらく休みながら、今後の相談を救助隊でしている。 「ここまで救急車を呼びましょうか」という話もあったけれど、これからのことを考えると多治見の病院の方が便利だと思い断る。 1人で背負うより、多数の人で担ぐということになり、なんと運良く近くにあった角材を数本使ってやぐらの様なものを作ってしまった。 そして、先発隊と無線で連絡して、ゲートを空けてもらうようにダムの管理者に頼み、車で迎えに来てもらうという手はずになった。 ザックをシートにして横2本、前後に2本の上に座り、林道を御輿!のようにし て下ることになった。 乗せてもらっている当人はやむなくあきらめているが、救助隊に協賛という名目が無ければ、痛くても自分で歩いていきたいほどの恥ずかしさ。
途中で迎えの車に乗せてもらって駐車場へ。17:50着。 救助隊隊長の車で「道の駅」へ。 そこから多治見労山の4人で土岐の駐車場へ。 そこから、バイクの置き場所へ。 バイクは、多治見労山の他のメンバーに乗ってきてもらって、同行者の車で自宅へ。
救急車を要請して市民病院へ。 予想していた捻挫ではなく骨折と聞かされ、仰天。 すぐ入院といわれたが、持ち物もあるのでと、救急処置だけしてもらって帰宅。 洗濯やら片付けやらをして就寝。24:00過ぎ。 翌朝、あちこちに電話をかけ手はずを整え、着替えなどを持って入院。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ *結局、4/30手術、入院、5/20退院、自宅療養・リハビリ、6/30から出勤。 *7/30、1回目のリハビリ山行:「御在所岳」へ行けるようになった。 |