山と花を求めて 
  
      中国 雲南省の旅


 9日目 8月1日(木)

梅里雪山(ばいりせつざん:メイリーシュエシャン)ビューポイントホテル8:00発⇒明永氷河ハイキングは土砂崩れのため行けず8:45頃〜9:15頃⇒梅里雪山(ばいりせつざん:メイリーシュエシャン)ビューポイントホテルへ引き返す・・・昼食までフリータイム(裏山を偵察)14:40頃〜11:10頃・ホテル出発11:30頃⇒徳欽(とくきん)のレストランで昼食12:20頃〜13:10頃・・・徳欽(とくきん)市街散策14:20頃発⇒梅里雪山(ばいりせつざん:メイリーシュエシャン)ビューポイントホテル着(午後はフリータイム・梅里雪山(ばいりせつざん:メイリーシュエシャン)がばっちり見えた!天気がいいので洗濯デーとする)


7:00頃から、すこ〜し明るくなったので
ずっと窓のそばで待機していたが
なかなか雲が取れないので
朝食に行くことにした

ソーメンらしきものがあったので
かけ汁にお茶漬け海苔を入れて食べてみた

う〜ん、なかなかいける
(全体に味が薄い料理が多い)





食事もそこそこに部屋に帰ってみると
山が、だんだんはっきりしてきた

これは幸先がいい!



今日は、一番のお目当て:梅里雪山の麓にある
「明永氷河」へ行くことになっている

『梅里雪山で最大の明永氷河は、
低緯度にあって標高の低い氷河として、
世界的に特異な存在である』

『氷河の隣には森が広がり、
氷河の末端は標高2,650mに達する』・・・と

この日のためにストックも用意し、
トレッキングシューズも履いてきている

ロビーに集合、これから出発 8:00




出発して40分もたたないうちに
青空に映えるピークが見えてきた!

ラッキーと思ったところ、ラッキーではなくなった・・・

前方に渋滞の車の列

土砂崩れらしい

この前のように、少し待っていれば復旧できる
・・・というわけにはいかなかった




   
土砂崩れ手前で-1

待機している場所も右側から落石がありそうな場所だが、
すぐの復旧はできないらしいので、「花の写真を撮りたいのだけれど・・・」と
恐る恐るガイド氏に打診をした

長くなりそうなので、「気をつけて 短時間なら」という返答をもらい
喜び勇んでバスを降りた

今まで何度となく車窓から見てきた花が今、目の前で観察できる! 
背丈40〜50cm程 花の直径2.5cm程
細長いさや状の実ができている 6cm程の長さ




土砂崩れ手前で-2

左 コマツナギに似た花:マメ科
背丈10cm程 花の直径2cm程

右 ストップしているバス
おそろいの赤い防寒着を着ている高校生(かな?)
やはり、バスがストップして、道路状況を伺っている




土砂崩れ手前で-3

日本では見たことの無い白い木の花  8日目・月の湾でも見たが、ここは背が低い
背丈10〜15cm程 花の直径2〜2.5cm程




土砂崩れ手前で-4

これも、日本では見たことの無い薄紫の花
背丈40〜50cm程 こんもりとしていた 花の直径2cm程




土砂崩れ手前で-5

左 鮮やかな色の実
背丈15cm程で垂れていた 実の直径2cm程

右 ハハコグサに似た花:キク花
背丈20cm程 頭花の直径1.5〜2cm程






土砂崩れ手前で-6

日本では見たことの無い薄いピンクの花 もこもこと暖かそう
背丈10cm程で横に這っていた 頭花の直径2cm程

右 ピンクは雄しべの色だった

結局、土砂崩れは2箇所で起こっていたらしく
復旧は望めないとわかってホテルへ帰ることになった あ〜〜〜〜あ




引き返す途中の展望地で-1

雲が多いが絶好の展望地




引き返す途中の展望地で-2

向こう側に見える道路が、引き返してきた道路




ホテル下の展望台で

この展望台でも、雲が多くて稜線は見えず




ホテル近くを散策-1

いったんホテルへ帰って、昼食に「徳欽」の町まで行くことになったが
部屋へは行かず、バスから裏山へ花を探しに直行

左 セリ科の花
背丈30cm程 頭花の直径6cm程

右 マメ科らしい実がなっていた 幹には痛そうな棘あり
背丈2m程 実の長さ3〜4cm程




ホテル近くを散策-2

左 オヤマノエンドウに似たマメ科の花
背丈5cm程 花の直径1cm程




ホテル近くを散策-3

左 鮮やかな色のワスレナグサに似た花 地面を這って伸びていた
背丈5cm程 花の直径1cm程

右 ニュージーランドで「おじいさんのひげ」と呼ばれている地衣類に似ている
サルオガセの仲間かな?
長さ 垂れ下がっているのでよく分からないが、50〜60cmかな?




「徳欽」の町で昼食

左 急遽、李さんが探したお店「韓国料理の火鍋」

右 お肉どっさりをまず洗面器(!!)のような鍋に入れ・・・→




→次に野菜を入れる




長いひも状の食べ物
材料は何だろう??

今までのセットメニューと違っていたので
おいしく感じられた昼食となった




ホテルへ帰る途中、梅里雪山がきれいに見えていた!

ドライバーの高さんはスピードを上げてホテルへまっしぐら!

間に合った!

ホテルの裏庭から梅里雪山がすみからすみまでたっぷりと見えた!

部屋の掃除も終わっていなかったので、
敷物を持ってどっかりと座り込んで心ゆくまで堪能した!!

『梅里雪山は、長さ30kmの山群の総称』
『6,000m以上が13峰あり、最高峰(6740m)は、雲南省の最高峰である』とのこと

この山がすごいのは、どれも未踏峰!であること
5000m〜6000m台の山々なのに・・・である

・・・・・・・・・・・・・・・・・・以下『   』は、Wikipediaより・・・・・・・・・・・・・

チベット仏教信徒による巡礼登山は数百年前から行われてきたが、
いずれも山腹にある寺院までである

登頂の試みは1902年ごろに始まり、アメリカ、イギリス、日本、中国などが
それぞれ5・6回ほど登山隊を派遣してきた

しかし、険しい地形やモンスーン地帯特有の厳しすぎる気候の為に登頂は全て失敗に終わり、
「神々の山」は未踏峰のままである

地元では「神聖な山を汚す存在」として登山隊を嫌う風潮が根強く、
「登山隊は遭難して当然」という考えを持つ者も少なくない』そうである

また、『1991年1月4日、「
日中合同学術登山隊17名(日本側11名、中国6名)が、
キャンプ地で雪崩の直撃を受けて全滅する遭難事故もあった


直ちに日中合同の救助隊が現地へ派遣されたが、悪天候の為に第3キャンプへ接近する事は不可能だった

航空写真の分析でキャンプ地が雪崩による大量の雪に埋め尽くされている事が確認され、
17人の生存は絶望的となった』

『1996年に派遣された日中合同登山隊は事故後、初めて第3キャンプに到達したが、
遺体やテント、遺品の発見には至らなかった


1998年8月以降に山麓を流れる氷河の末端から、
雪面下に埋もれた後に氷河に流入した遺体や遺物が続々と現れた

現地の村人や捜索隊により、17名中16名の遺体やその一部、または遺品が発見・収容された

『遺体の捜索が一段落した2006年10月、京都大学山岳会は山麓の明永村に、
日中の遭難者の氏名を刻んだ記念碑を設置した』

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

その明永村へ行けなかった…というわけである

雲の流れが遅いようで早い
全部の雲が取れすっきりすることはなく
あの山がすっきりなら、この山は山頂が隠れている・・・といった具合で
なかなか満足のいく眺めにはならなかった




ロビーの壁にかけてあった梅里雪山の写真

一番左の槍ヶ岳のようなとんがり山が、メツモ6054m
その右隣、4〜5峰が連続している山が、ジャワリンガ5470m
そのまた右隣、ゆるいとんがり山はマーベンゼンデウーショ6000m
少し離れたそのまた右隣、カワカブ(カワクボともいうらしい:最高峰)6740m
そのまた右の奥、スグドン6379m




  槍ヶ岳のようなとんがり山 メツモ6054m






  4〜5峰が連続している山 ジャワリンガ5470m




  ゆるいとんがり山 マーベンゼンデウーショ6000m






  カワカブ(カワクボ):最高峰 6740m
 
  その下に流れているのが、訪れる予定だった永明氷河





  右の奥、スグドン6379m




  三山を並べてみた
左からメツモ6054m、ジャワリンガ5470m、マーベンゼンデウーショ6000m




夕食は、ホテルのレストランで




ホテルの裏庭には、夜になると
木に飾られたイルミネーションに火が灯る

そして、音楽と踊り
(とても大きい音でなかなか寝付けなかった)




ピンク・黄色・緑とイルミネーションも華やか




 
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