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『 』内は、図鑑やネット検索からの引用です
アオキ(青木):ミズキ科 赤い実があちこちになっていた 艶々として、ほんとにきれい〜 |
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スズカカンアオイ(鈴鹿寒葵):ウマノスズクサ科 左 咲き始めで、 まだ萼片が開ききっていない 右 萼片が大きく広がり始めた 筒の部分より、萼片の方が長いのは、スズカカンアオイ |
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赤猿峠から西の宮へ行こうと下っていくと、「団九郎の岩屋」の標識を見つけた どんなものだろうかと探しに行った・・・堰堤のそばにある大岩の隙間だった 林道へ引き返そうとすると、ブ〜ンブ〜ンとエンジン音 何事か?!と、思ったら、 オフロードバイクが、でこぼこ(なんて生易しい状態ではない大岩ごろごろ)の道を下ってきた 私たちが道の脇にいるので、配慮したのかエンジンが止まってしまった 勢いがついていれば、大岩でもぶ〜んと飛び越えてしまうのだろうが 人影を見てスピードを落としたのだろう 悪いわねえ・・・ |
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今度は、四駆のジープが登ってきた 前方にある大岩を乗り越えようとさかんにエンジンをふかすが、乗り越えられない どうするのだろうとみていると、次々に同好の仲間がやってきた 5〜6台だったか 先頭の車のドライバーが下りてきたので声をかけると、「何度も来ている」・・・と じゃあ安心 邪魔にならないように素早くその場を立ち去った 林道とはいうものの、こんな車やバイクが通れば、道もえぐられるわな 轍も、どんどん深くなり、悪くなることはあっても良くなることはないだろう でも、きっと、とっても面白いんだろうね! |
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西の宮 |
東の宮 |
西の宮の右にある急な階段を登ると、周囲を厳重に囲ってある「大碓皇子(オオウスノミコト)」の墳墓がある 「大碓皇子(オオウスノミコト)」について調べたら、こんなことが分かった ↓ ↓ ↓ 『第十二代景行天皇にはたくさんの子どもがいたが、大碓皇子(オオウスノミコト)は、 そのうちの一人で双子の兄弟の兄。 弟は、小碓命(オウスノミコト)−後のヤマトタケル−。 古事記では、大碓皇子(オオウスノミコト)は、弟の小碓命(オウスノミコト)に殺されるのだが、 彼を祀っている猿投神社では、 猿投山に登る中途で蛇にかまれ死んだと伝えられている。』 もう少し「古事記」を詳しく調べると、 ↓ ↓ ↓ 『景行天皇は、大根王(オオネノミコ)(三野国造の祖)の娘の兄比売(えひめ)・弟比売(おとひめ)姉妹が 美人であると聞き、大碓命(オオウスノミコト)にその視察を命じた。 *三野国=美濃国 しかし大碓命(オオウスノミコト)は密通し、天皇には偽って別の女性を献じた。 そして大碓命(オオウスノミコト)は、兄比売(えひめ)と弟比売(おとひめ)との間にそれぞれ男子を儲けた。 ある時、大碓命(オオウスノミコト)が朝夕の食膳に出てこないので、天皇は小碓命(オウスノミコト)に、 「ねぎし教えさとせ(ねんごろに教えよ)」と命じた。 *偽りがばれたと恐れて顔を出さなかったらしい。 しかし、5日経っても大碓命(オオウスノミコト)が出てこなかったので、小碓命(オウスノミコト)に どう教えたのか問うと、「大碓命(オオウスノミコト)が明け方に厠に入った時、捕まえてつかみつぶし、 手足をもぎとって薦に包んで投げ捨てた」と言ったという。』・・・だって ↓ ↓ ↓ この後、天皇が小碓命(オウスノミコト)の凶暴性を深く恐れ、西方の熊襲建(クマソタケル)征伐を 命じた有名な話へつながっていく。 |
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猿投山山頂 |
コースタイム 雲興寺9:20・・・トイレ(修理中)・・・赤猿峠11:20・・・団九郎の岩屋・・・血洗の滝・・・ 西の宮12:30〜12:50・・・東の宮13:15・・・山頂13:40・・・休憩地 13:50〜14:00・・・雲興寺15:30 |