初めて公開山行に参加 釈迦ケ岳 を目指す 



今日はここまで
●場 所 三重県菰野町
●標高 釈迦ケ岳 1092m(頂上までは行けなかった)
●山行日 1984年3月11日
●コース 朝明ヒュッテ手前・・・山頂手前のピークまで
●多治見から
   登山口まで
JR多治見駅ーJR名古屋駅・・・近鉄名古屋駅ー菰野駅=タクシーで朝明渓谷手前まで・・・登山口
※ー鉄道 =自動車 ・・・徒歩 ⇒バス ⇔その他
●参加者 丹羽(「未踏山の会」の公開山行に参加)、他8名
●コースタイム
JR根本駅
JR名古屋駅
近鉄菰野駅
タクシーで行ける所まで
登山口
ピーク
近鉄菰野駅
6:17発
6:51〜7:31
・・・
9:15頃発
・・・
13:30頃発
16:15着
            周辺地図はこちら


4:50起床。5:30自宅発。根本駅から乗車、多治見駅で中央線に乗り換える。

窓の外は、雪・雪。
最後のトンネルを過ぎると、雪なし。茶色の地面。
春日井の辺りでやっと日の出、6:30頃。
名古屋駅、6:51着。集合場所は、.近鉄改札口の辺り

朝日新聞の小さな案内を見て申し込んだので、どのグループがお目当てのグループか分からず。

7:15までそれとなく観察して、意を決して声をかけたると、ぴったり!

簡単に自己紹介が終わり、7:31四日市行き急行に乗車。計9人。

電車の中で、新聞を読む(イザという時、服1枚分の暖かさが得られ、
他にもいろいろ使い道があるのでたいていは持って行くものの一つ)

乗り換えた湯の山線は、隣に世話役の小林さん。
「未踏山の会」の様子などを聞く。

窓の外は、横殴りの雪。山は行けるだろうか・・・と、思いながら菰野駅で下車。
バスはシーズン外なのでなし。タクシー2台で朝明渓谷まで。

約15分の地点で、「もうこれ以上行けません。降りてください。」と運転手さん。
「ええっ?こんなところで!」とぶつぶつ言いながら降りる。
道は真っ白。車のタイヤの跡だけが残っている。

スキーのオーバーズボンのようなものとロングスパッツを借りて着る。
スパッツは、雪道に大変便利。絶対靴の中に雪が入らないようになっている。

    
  身支度をする                         雪はどんどん降る

驚いたことは、休憩時に必ず何かをむしゃむしゃと食べること。それも甘いものを。
「決まった昼食時間はとりませんから適宜食べてください」・・・と言われる。
しかし、まだ9:00。チョコレート2個のみ食べる。

身支度が終わると出発、9:15頃。
歩き始めるとすぐ吹雪いてきた

  

『雪は上から降るんじゃないね。横から降るね」などと話しながら歩く。

両側が木で、風が吹き付けてこないところでは、案外と暖かく快適。
スキーのストックは杖代わりの役目らしい。
シーズンに向けて道路整備も進んでいる。

    
    タクシーから降ろされ林道を歩く

やっとタクシーで下りるはずだった地点着いたのが約1時間後。

急に雪が深くなった。
広い駐車場らしいが、時々ずぼっと足がはまり込むところがあった。

ここから山の家、ヒュッテなど道の両側に並んでいるが、どこもぴったり締め切ったまま。
深い雪の中を、前の人の足跡ばかり見て歩く。
ストックの下に輪っかがない棒で雪を刺すと、ずぼ〜っと軽く2/3は入ってしまう。

人間は,なぜずぼ〜っと入らずにすむのだろう・・・

山の家銀座を通り抜け、林道らしい道を歩く

   
   山の家銀座を歩く

先頭は、真っ白な雪道にポツッポツッと足跡を付ける。
我が前に道はなし。我が後に道ありき・・・と行った所。
ずいぶん気分がいいだろうなとうらやましい。

    

私は2番目。
足跡の中へ足を入れようと頑張って歩く。

2人の女性はやや遅れ気味だけど、私が元気なのは、荷物が軽いことと足が軽いこと(私はスノートレーニングシューズ。他の人は重い登山靴だから)

木の根元だけすっぽり穴が開いているのは、木の体温かしらと思いながら歩く。

      
         雪はだんだん深くなる

約1時間ごとに休憩。
雪のない道は、1時間くらい平気だけど、やっぱり疲れるのか、時計を見ながら
休憩を待ち遠しく思う。

  
   雪の上で休憩

休憩以外は、歩きながら素早くパシャッ、パシャッと撮るのでじっくり被写体を見つめるヒマがない。

だんだん深くなる道を遅れないように付いて行く。
そのうち、少し余裕もでき、あちこち眺めながら歩く。

雪は降ったり止んだり
陽が少し差しただけで後は雪空。

    

右か左かまっすぐかさっぱりわからない所ばかり。
何回もこのルートを通った人が先頭なのだろうか?
それでも、「どっちだ?こっちにするか?ちょっと偵察してこい」・・・なんって言っていて心細い。
とても1人では来れなかった。

    

急な登りにかかる。
雪を蹴り込んで階段を作り、その足跡を崩さないよう気を付けて一人一人登る。
間を少しあけて、滑り落ちても巻き添えにしないように歩く。

滑落にブレーキをかける体勢も実演してもらった。

登り切った所から樹氷のトンネルに入った。
目の前に広がった幻想的な美しさでもう十分。
頂上へ行けなかったことなんてさして残念とも思わないほどの素晴らしさ。

  

トンネルを抜けると風がまともに頬に当たって痛い
「皮膚の色が白くなってきたら、凍傷になりかかっているんだから
叩いて予防するように」と教えて貰った。

    

帽子をぐっと下げ、マフラーをぐっと上げ、マスクを掛けたらずいぶんと暖かくなった。
これはいいものを持ってきたと自分で感心する。

  
   風があると寒い!

勿論懐炉はポケットの中。
しかし、5:00に着火。8時間後は午後1:00.そのころまでとにかく太腿はぽかぽかと暖かい。

若い男性がひざを痛めて歩きづらそうなので、借りたストックを譲る。

上がるはずの道を下ったり、迂回したりしてとにかく上へ上へと登る。
道らしい道はどこにもあってどこにもない・・・と言った風。
足跡を見ながら前へ進む。

一応のピークには着いた

  
   今日はここまで

しかし、釈迦ケ岳ではないとのこと。13:00頃。
山頂へは、まだこれから30分はかかるようだし、雪庇もあちこちにあって危険だし、
風の強い稜線を通らなければならないし・・・で、ここからUターンすることになった。

「最初のタクシーを下ろされて歩いた1時間が痛かった」と口々に言う。
またまた、むしゃむしゃと腹ごしらえの後、下ることになった。13:30頃。

下り始めると、晴れ間が見えてきた。

下界は雪の跡もなし! 山は氷の花盛り!

下りは何とあっけないこと

1歩1歩踏みしめて登った坂道を、ツルッツルッと滑り降りたり、
滑り台をすべるようにお尻を置いてどどっと滑り降りたり、
見えない谷川に足を突っ込まないように急ブレーキをかけて雪まみれになったり、
こんな楽しみ方もあったんだ

急な坂道を過ぎれば、坦々とした雪道。

もう前の人の足跡なぞ気にかけずに歩く。

登山口に着。

  

電話をかけ、タクシーを頼み、途中まで迎えに来てくれるように手配。

16:15、菰野駅着。晴れ、雪なし。

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