白の世界 八方尾根 




バックは白馬三山
●場 所 長野県白馬村
●標高 2080m 第3ケルンまで
●山行日 1992年3月20日〜3月22日
●多治見から
   登山口まで
JR多治見駅ーJR白馬駅⇒八方⇔ゴンドラとリフトで八方池山荘前へ
※ー鉄道 =自動車 ・・・徒歩 ⇒バス ⇔その他
●参加者 林、丹羽 
●コースタイム 1日目 5月3日(水)
八方池山荘
八方ケルン
八方池山荘(泊)
13:45着
15:10 引き返し
15:50着
2日目 5月4日(木)
八方池山荘
午後近くを散歩
八方池山荘(泊)
14:50発
ーーーー
15:35着
3日目 5月5日(金)
八方池山荘
第3ケルン
八方駅
6:40発
7:55
10:30着
            周辺地図はこちら  八方尾根ルート地図


1日目  3月20日(土)

多治見が8:54発と、のんびりとしたスタート。
何といっても「白馬」直通は便利。 眠っている間に雪国へ入り込んでいた。
山は勿論、田んぼも白。この辺りの人は、 いっもこんな景色を見ているんだなあと羨む。

白馬の駅の真ん前にドカーンと真っ白な白馬三山
バス6分で麓へ着。
「ケーブルはどちらですか?」では通じず、ゴンドラとわかる。
それも、アダムという 名前。

伊吹山にあるものと同じタイプの6人乗り。
荷物料金は、10キロを越えると100円。10キロごとに100円増し。14キ ロだった。

食料、ガスなどが入っているが、新しいザックのせいか、日頃の訓藤のせ いか重いとは感じず。

それ程待つこともなく乗車。
我々以外は皆、スキーヤー。
林の上をぐんぐん登って行く。
雪の上には、兎の足跡がくっきり。
16分ほどでうさぎ平
ここからは、リフト利用。

ちょうど、何かの大会のようで 選手がこないのを見計らって通行可。

料金所まで、たくさんの人、人、人。
ザックを担いでいるのは、前の方に2人のみ。
現金払いは、我々だけ。
スキーヤーの後にくっつき少しずつ少しずつ前進。

大きなザックを目敏く見付けられ、「登山者の方はこちらへ。」と
ザックを持ってもらいリフトに乗せて貰ってからその横へ座る。

降りるときも素早く監視室から出て きて、まず、ザックを下ろして「早く降りなさい。」と声が卦かる。

ここまでは、セーターも手袋も必要無かったが、ここからまたリフト

寒くなりそ うなので、防寒具を用憲する。

右側には、白馬三山とその連なり。左側は、鹿島槍ヶ岳・五竜とその連なりが真っ 白に見える。

ここで待っている人の中には、登山客は1人もなし。
同じようにリフトに乗り、また降りる。

すぐ前に、八方池山荘

ゴンドラに乗って からここまで約1時間
あっというまに、こんな高いところまできてしまった。

猛烈におなかが空いてきたので、山荘の少し上で昼食とする。
最高の場所。

太陽はあるが、雲が多く青空でないのが残念。
「青い空と白い雪山」といきたいが、白い空に白い山では写真に綺麗に写らないだろうと思う。

まだ時間は早い。
散歩に行くことにし、カメラ・ストックを持ちアイゼンを付けて 出発。



上へ行けば行くほど、どんどん新しい山が見え始め、
第2ケルンからほ不帰の瞼の鋭いX字型や、唐松岳が正面に見えてきた。

後方もぼんやりとではあるが見え、文字 通り360ぐるりの展望をおおいに楽しんだ。

翌日、翌々日とも天候に恵まれなか ったが、この日・ここで見た白い雪山の連なりが見えただけで、
はるばる遠くまで来た甲斐があった。



太陽は雲の中に入りそうで白く丸く見える。

下ってまた登ったところにケルンが見える。
右よりには、避難小屋?も見える。

周りは真っ白。どこを歩いてもOK。
新しい1歩を踏み出してもそれ程は潜らない。

アイゼンがキュッ、キュッといい音をたでる。

避難小屋と見えたのは、実はトイレだった。

木造でがっしりした造り。(翌々日、本当にここが避難場所になった。)

その横に、雪の高さを利用して雪洞が掘ってあり 、
雨具やロングスパッツが木の枝に掛けてあった。
誰か住人がいるらしい。
(翌日、すれ違った人に「昨日はどこの泊まりでしたか?」と聞くと「雪洞です。」と返って来た。

そして「まだ使えますよ。」と勧めて貰ったが、
そのまた翌日行ってみるとツエルト で入り口が塞いであった。)

トイレのそばにケルン。
息(やすむ)ケルンという名。
昭和12年に遭難した息子 を悼んで父親が建てたとか。

次のケルンまで緩い登り。着。
八方ケルン。まだ新しい。



天気図もかかなければいけないし、夕飯は自炊だし、雲も厚くなってくるしで
引き 返すことにする。
(次の日から天気が悪くなると知っていたならもうすこし足を延ば したのに・・・と悔やむ。)

林さんの足は、下りのほうが痛むとか。

2番手のほうが少しは楽になるだろうとト ップをいく。



下りは、私ことっては快適そのもの。
体の重みで、足を踏み出しさすればずずっ ・ずずっと下っていけるから。

宿泊手続きをして(2段ベッドの上)天気図をとる。
前線をともなった発達中の低気圧が近付いてくるとわかる。

しかし、夕方からは、回復してくるとわかり下山しないで停滞になりそう。

夕食は、土間で作り食堂のテーブルで食べる。
(食事付きの人の食堂とは場所が違う)

入浴(これには驚いた。)

就寝7:30。

2日目  3月21日(日)

朝5:30起床。

天気が気になりトイレへ行ったついでに戸を開けると横なぐりの雪
だいぶ積もっている。
『ああ、今日はだめだ。』と諦め、妹さんに報告。

6:00前の天気予報を聞こうと食堂へ降りる。

結局、ずう〜っと12:00までそこに陣取り、9:00の気象情報を聞いて天気図を書いたり
「山と渓谷」の雑誌を読みながら5月の連休の計画を立てる。

四国沖に低気圧が近付いてくること、
75キロの早いスピードで東北沖へ行くこ が分かったが、
前線を引きずっているので影響がいつまで残るかを心配する。

5月連休の候補地「燕岳」。
時刻表を見て計画書を作る。

また、小屋利用では行動範囲が限られるのでテント泊ができるように広告を探す。
2−3人用で、ゴアで、軽いテントを探した結果「イシイ・ゴアライトテント』と
「アライテント・ゴアライズ・2」のふたつが候補に上がった。

どちらも1、65kgと軽量。

こんな日でも、スキーヤーが来て段々食堂が込み合って来たので
2段ベッドへ退却。

行動食とビールで昼食。
そして、惰眠を貪る

14:50、雪が小降りになってきたので散歩に出掛けることにする。

所が、少し尾根へ出ると風がびゅんびゅん吹き、強烈な地吹雪もあり、
第二ケル の手前のヤセ尾根で吹き飛ばされそうな危険を感じ引き返すことに決定。

約40分の散歩に終わる。

16:00、またまた天気図を取る。

明日には、低気圧は遠ざかり天気は回復するが風が強いだろうと分かる。

話好きの三重県の女性といろいろ話すなかに、
中高年の無謀登山(遭難一歩手前かまさしく遭難そのもの)の話を聞き、
未踏では考えられない!と後で二人になったとき話し合う。

夕食18:00。入浴19:00。就寝20:00。

3日目  3月22日(月)

風が段々強くなり、寝ていても小屋がみしみし・ゆさゆさと揺れる。
ごお〜っとい う音と共に小屋全体が揺れ、まるで地震かと思うような揺れ方で目が冴える。

年末の 北八ツで、夜中は風が強くても朝になったら静まったので
ここもそうなりますように・・・と祈る。

朝が近付いてくると、ごお〜っという揺れと揺れの間隔が間遠になったよう な気がして
安心したのか少しうつら・うつらできた。

起床5:40。

昨日、寝る前に空を見上げたら、星が雲の切れ間が覗いていたので 期待して起きる。

ザックを持ってすぐ下へ。

窓ガラスが明るい。晴れだ!

戸を開け る。懐かしい青空と白い雲

頂上へ行って戻って、多治見まで掃るには早く出発しなくてはと気が焦る。

日の出をカメラにおさめる。



4人パーティー、単独、単独、と先を急ぐ人達。

青空も瞬時に様相が変わり、雲に覆われたかと思うとまた現われてくる
といったように目まぐるしく変わる

何枚も何枚も写真を撮る。



さあ、出発。6:40。

尾根へ出ると風が強くなる。

ほんの少し前に出掛けたパーティーの足跡も、単独行 の人の足跡も、
ピッケルの先の穴だけ残して全部消えてしまっている。

しかし、ここは前に下見がしてあるところ。
自信を持ってトップを歩く。

昨日、退散した地点も無事通過。

右から吹いてくる風に逆らって、足を踏ん張り1歩1歩確実にゆっくり登る。

右手は、白馬三山
前方は、青空。

しかし、風に逆らっ て下を向いてぐいぐい歩いているので、
上体を起こして前方を眺めるのほほんの一瞬。

ルート確認のついでに見るだけ。
それだけでも、雪が目に突き刺さり、「わおっ!」とな る。

覆面スタイルでも鼻水が後から後から出るし
(ハンカチで拭きウエストベルトに 縛っておいたらあっというまにカチンコチン。)

右のほっべたは針で刺されるように痛いし、
油断するとバランスが崩れふらふらっとなるし
(ストックでは耐風姿勢がで きない。ピッケルを持ってくるべきだった。)で
1歩1歩が気が抜けない。

やっと第2ケルン着
ここからは新雪が深く、ずぼっと潜ってしまう。

できるだけ風で雪が飛ばされてしまう稜線を選んで歩く。

第2ケルンで少し休んでいたら痛みの なくなったほっべたが、
右からの強い風でまた痛み出すので高所帽をぐっと引っ張っ て
できるだけほっべたを隠すようにして歩く。

次はトイレで休むことにする。
しかし、小屋の陰でも風は舞い狂い休むにはほど遠い。

待っていても風は弱くならないので出発。

次は息(やすむ)ケルン
風が雪に模様を作っている。
ケルンに張り付くようにし てアメを口にいれる。

次は八方ケルン
息ケルンと八方ケルンの間は、雪原というような感じで平らな場所。
平らな雪の原の上を、大量の細かい雪が風に流され、
まるで川の中を歩いているような錯覚におちいる幻想的な心に残る現象だった。

また、歩いた足の跡だけこんもりと雪柱のように残り
後は風に飛ばされてしまっ た所も不思議な現象だった。

八方ケルンで下山パーティーと会う。

「どこまで行けました?」と尋ねると、「第 三ケルンまで。」との答。

ここからはまた一段と風が強くなり、ケルンが見えているのになかなか進まない。

ヒューヒューでもなく、ビュービューよりもっともっともっと強い風が吹き荒れている。

何と形容したらいいのだろう。
命の危険を感じるような風」とでもいえるだろ うか。
一歩間違えばはるか下の谷底まで落っこちてしまう。
(鹿島槍では1人転落と ニュースにあった。)

1歩1歩踏ん張って、風の力に対抗してやっと第三ケルンに着。7:55。

前方に丸い山。
空はやっぱり青空。
風さえなければ…何度も何度も思う 。

右下に鳥居。それにテントを撤収しているパーティー。
「こんなところで、まあ」と驚く。

ここからはもっと風が強くなると思われるので撤退することに決定。

第三ケルンにへばりついて風を避ける。
すぐ出発。

帰りは後ろから風に押され、反るようにして風と対抗する。

第三ケルンからは風が少し弱まり、第二ケルンからはまたまた弱まり
無いのも同然ぐらいになったので、休憩と する。

行動食を食べたり、写真を撮ったりしていると、ヒュ−と風。

なんと!手袋が 谷底へ。一瞬のこと。

山荘の前では、無風状態

「出発が早すぎたかしら?」「もう一度挑戦しようか?」
「上は吹き荒れていると思いましょう。」などと悔やんだり、慰めたり

さあ、下山。
スキー場を歩く

下へ行くほど視界が悪くなり、数メートルがやっと。

追突されないか気が気でなかったが、やっぱり追突

怪我はなし。
どんどん降りる。
膝がきくっ、きくっとなるくらい。

リフトの下なら比較的安全だ ろうと思い歩く。

降りるにつれ、視界も徐々に良くなり下界が見えてきた



10:30着   

  「山行記録1991年〜1995年」に戻る

  トップページに戻る