初めて「山」に登ったのは、1984年の3月。公開山行の「釈迦ケ岳」 素晴らしい樹氷に感激して、帰宅してすぐその感動を手書きで書き残した。 山行記録はそれ以来ずっととっている。 その頃持っていたのは、植物の写真を撮っていた一眼レフのフィルムカメラ。 山行計画書と共に、花と山の写真と、山の感想をクリアファイルに綴じていた。 手書きがワープロに。そしてパソコンへと変わっていったが、必ず記録は残していた。 退職後、時間の余裕ができたのでパソコン教室に毎日のように通って HP(ホームページ)の作り方を覚え始めたのが、2003年の春。 それをきっかけに、初めてコンパクト・デジカメを手に入れた。 デジカメをフルに使った写真の多いHPは、2003年の6月から。 「百『文』は一見にしかず」・・・で、目で見て楽しめるHPを心がけた。 一眼レフ時代のクリアファイルに綴じていた記録が、本棚を占領してしまったので スキャナーで取り込んだ後はさっさと処分し始めたのが、2017年。 困ったことは、手書きの文章とワープロ原稿(感熱紙)の場合、 スキャナーが読み取ってくれないので、写真のある山行を主にアップすることにした。 文章がほとんどを占める山行は、パスした。 これでだいぶ整理が付いた。 昔の山仲間の元気な姿に、いつでも会えるようになったし、 若い自分に会えるという楽しみも見つけた。 HPを作り始めた頃の稚拙さはどうしようもないが、それも記録・・・と思うことにした。 |
1984年〜1990年はこちら | 1991年〜1995年はこちら | 1996年〜2000年はこちら |
2001年〜2005年はこちら | 2006年〜2010年はこちら | 2011年〜現在まではこちら |
色分け
鈴鹿 | 北アルプス | 南アルプス | 中央アルプス | 八ヶ岳 | その他 | 海外 |
【検索の仕方】
例えば、○○という山にいつ登ったか・・・などを調べたい場合、 Ctrl(コントロール)とFキーを同時に押すと、「検索の窓」が開くので、 その「窓」に、知りたい山の名前○○を書きEnterキーを押すと、 その○○の山の名前の部分が色で表されます。 また、右端のスクロールバーには、その○○の名前のある場所の横に線で表されます。 |
1991年 2年後、元の勤務地に移動 北アルプス縦走中(室堂〜薬師岳〜雲ノ平〜黒部五郎岳)、
山行2日目で転倒、五色ケ原から下山、入院のハプニングとなった
2ヵ月半で、山に復帰
NO. | 山行年月日 | 山域 | 山名 | メンバー | |
97 | 1991/1/6 | その他 | 本宮山 | 3名で | |
定例山行 名鉄電車とバスでくらがり渓谷へ 川沿いの林道から駐車場へ そこから本宮山へ登ったが、山頂にはパラボラアンテナの類が林立していて、下界のようだった |
|||||
98 | 1991/1/20 | 鈴鹿 | 霊仙山 | 8名で | |
柏原〜 「ひがし山の会」など他会との合同山行 6合目から引き返す 4合目から尾根道を下ったが途中でルート不明 引き返す |
|||||
99 | 1991/2/3 | 鈴鹿 | 藤原岳 | 4名で | |
雪多く、踏み跡もうっすら 中電の分岐で精一杯 引き返す |
|||||
100 | 1991/2/10 | 1991/2/11 | 南八ヶ岳 | 硫黄岳 | 6名で |
「ひがし山の会」と合同 マイペースでないのでえらい・・・ 足の速い組と遅い組に分かれて行者小屋へ 赤岳鉱泉が満員のため行者小屋に変更 赤岳鉱泉から硫黄へ 真っ青な空 頂上は風を避けるところもない吹きっさらし 早々に下山 |
|||||
101 | 1991/2/24 | 鈴鹿 | 霊仙山 | 2名で | |
柏原〜 雪のある時期、6合目を過ぎたの8初めて 6合目からは稜線の冬道 7合目を過ぎたところくらいで引き返す 寒い寒い 足跡も直ぐ消えてしまう |
|||||
102 | 1991/3/10 | 鈴鹿 | 霊仙山 | 2名で | |
柏原〜 2合目を過ぎた辺りから雪の量が増える メンバーの体調が悪く6合目から引き返す |
|||||
103 | 1991/3/24 | 鈴鹿 | 藤原岳 | 3名で | |
坂本谷〜中電巡視路の近道で藤原山荘へ 冬道を下りる フクジュソウの黄色の絨毯がずっと上の方の斜面まで続く |
104 | 1991/4/13 | 1991/4/13 | その他 | 風越山 | 県連婦人部交流 |
愛知県連婦人部交流テント山行に参加(定例山行も兼ねる=5名) 他山岳会もあわせると20名 「猿庫の泉」の屋根付きの休憩所で宴会・交流会 翌朝、A・Bの2グループに分かれて山頂へ 虚空蔵山からは、北岳・間ノ岳などの白い雪山がずらっと見えた |
|||||
105 | 1991/4/21 | 鈴鹿 | 藤原岳 | 2名 | |
大団体の後ろにつき辟易 天狗岩との分岐辺りのフクジュソウ見頃 アズマイチゲ・キクザキイチゲ・ミスミソウ・カタクリも |
|||||
106 | 1991/5/3 | 1991/5/5 | 北アルプス | 西穂沢(岳沢) | 7名で |
春山合宿 親子ペアとは岳沢のテント場で一緒 テント場はホワイトアウト状態 コルから下る際、雪崩の危険を感じて走って降りた |
|||||
107 | 1991/5/19 | 鈴鹿 | 霊仙山 | 3名で | |
醒ヶ井駅よりタクシーで養鱒場へ タクシーは色よい返事ではない 北霊仙山からうるし滝へ下山 ニリンソウ・ヤマシャクヤク この時期花は少なめ |
|||||
108 | 1991/6/2 | 鈴鹿 | 御在所岳 | 4名で | |
清掃山行 夜半からの雨で40名の一般参加者へは中止の連絡 会員だけの山行 40人分のフルーツポンチを半田ファミリーに買って貰い赤字を免れる |
|||||
109 | 1991/7/7 | 鈴鹿 | 鎌ケ岳 | 3名で | |
三口谷〜長石尾根 涼しげな水音で夏用ルート |
|||||
110 | 1991/7/13 | 1991/7/14 | 北八ヶ岳 | 白駒池〜天狗〜ニュウ〜白駒池 | 4名で |
初の土曜休みを利用して 戸嶋車で白駒池(P)へ テント泊 ゴゼンタチバナ・オサバグサ・ハクサンシャクナゲなど 稲子湯で入浴 |
|||||
111 | 1991/7/27 | 1991/7/29 | 北アルプス | 五色ケ原〜黒部湖〜入院 | 2名で |
室堂〜五色ケ原〜薬師〜雲ノ平〜黒部五郎〜折立の計画2日目 一の越山荘から1時間ほどのところを下山中転倒 し ばらくして血尿と腹痛の中五色ケ原山荘へ 痛みが強くなるがガスのためヘリは無理 翌日鎮痛剤を飲みながら自力下山 平の小屋から黒部ダムまで船で
移送 大町市民病院に入院 安静にして2週間後退院 自宅療養 |
112 | 1991/10/13 | 鈴鹿 | 釈迦ケ岳 | 6名で | |
公開山行下見 庵座の滝〜松尾尾根 怪我以来復帰1回目の山行にしてはきついコースだった |
|||||
113 | 1991/10/20 | 鈴鹿 | 準公開山行:釈迦ケ岳 | 6名で | |
庵座の滝〜松尾尾根 準公開山行に2名の参加者 下山後川沿いのお店であまごの塩焼きで反省会 これをきっかけに1名入会 |
|||||
114 | 1991/11/4 | 鈴鹿 | 銚子岳・静ケ岳 | 4名で | |
伊勢治田駅でタクシーを頼む 渡渉は靴のままで 治田への登りは見上げても見上げても続く 道はやぶこぎの連続 |
|||||
115 | 1991/11/23 | 1991/11/24 | 北八ヶ岳 | 縞枯〜白駒池〜高見石〜渋の湯 | 5名で |
ピラタスロープウエーで楽々登山 「青苔荘」で泊 縞枯山への登りにアイゼンをつける 夕食はすき焼き 夜間の雨と風でエビの尻尾ができた 渋の湯でバスを待ちながら、温泉ー宴会ー温泉と2回も入浴した |
|||||
116 | 1991/12/8 | 鈴鹿 | 青川渓谷〜藤原岳〜聖宝寺 | 5名で | |
伊勢治田駅からタクシーで登山口へ 4回ほど渡渉あり 暑くて暑くて12月なのにたっぷり汗をかいた いつもと反対の側から藤原だ池に到着 |
|||||
117 | 1991/12/22 | 鈴鹿 | 霊仙山 | 3名で | |
雪はなし 直射日光下ではあるがなんと26℃ メンバーの1名は、「柏原」を間違えて近鉄の「橿原」へ行き合流できず フユイチゴを食べながら歩く |
|||||
118 | 1991/12/27 | 1991/12/30 | 北八ヶ岳 | 縞枯山〜茶臼山〜高見石〜渋の湯 | 2名で |
美濃戸口から軽トラに便乗 硫黄〜根石〜天狗〜高見石〜麦草〜茶臼〜縞枯縦走の計画だったが赤岳鉱泉で大雪警報の
ニュースを聞き翌日下山 美濃戸口からタクシーでピラタスロープウエーへ ロープウエーは休止のため利用できず 縞枯山荘からすぐラッセル 他
パーティーも合わせて7人で麦草ヒュッテまでがやっと 翌朝登山道のラッセルは時間がかかりすぎると判断し国道を歩いて白駒池へ そこからはしっか
りとしたトレースあり 渋の湯へ下山 |
1992年 山域が広がり、あちこちの山へ出かけた
NO. | 山行年月日 | 山域 | 山名 | メンバー | |
119 | 1992/1/5 | 鈴鹿 | 藤原岳 | 4名で | |
坂本谷〜大貝戸 雪の重みで木が道を塞いでいるので歩き難い 白瀬峠〜避難小屋〜駅 日没までには駅に到着 |
|||||
120 | 1992/1/15 | 鈴鹿 | 伊吹山 | 3名で | |
ゴンドラで3合目へ 8合目からアイゼン 帰りはぐちゃぐちゃの雪になっていた |
|||||
121 | 1992/1/26 | 鈴鹿 | 霊仙山 | 4名で | |
醒ヶ井駅からタクシーで養鱒場へ 雨具のズボンとスパッツを着けたがまるで春のような陽気で暑くてたまらなかった 柏原道は北斜面のせいで雪が多くて気分がいい 動物の足跡たくさんあり |
|||||
122 | 1992/2/11 | 鈴鹿 | 鎌ケ岳 | 3名で | |
三ツ口谷〜武平峠からの稜線〜長石尾根 三ツ口大滝は上から下まで凍っていて見事! アイゼンとピッケルで登る |
|||||
123 | 1992/2/23 | 中央アルプス | 恵那山 | 4名で | |
黒井沢の登山口手前30分で工事中 登山口まで歩いた 谷川にお団子を積み上げたような氷のオブジェ 雪が深くスパッツだけでは足らなくなり雨具のズボンを着ける 13:30のリミットで 「山頂まであと2,5km」の地点から引き返す |
|||||
124 | 1992/3/8 | 中央アルプス | 南木曾岳 | 3名で | |
喉の滝〜山頂〜周遊コースで 駐車場から雪 真新しい遊歩道ができていた 梯子・階段を通過の際、雪を踏み抜かないように注意 アレルギー性鼻炎だったが、「山は病院」・・・で、たいていの風邪も山で汗を流して直してきたが、今回はえらくてえらくて、下山後発熱 翌々日は何年ぶりかに高熱で仕事を休んでしまった |
|||||
125 | 1992/3/20 | 1992/3/22 | 北アルプス | 八方尾根 | 2名で |
リフト利用であっという間に八方池山荘へ 1日目だけ天候良し 発達した低気圧が近づいてくるが夕方からは回復・・・と分かるので2日目は停滞 3日目晴れ 稜線は吹き飛ばされるような強風 やっと第3ケルンまで 引き返す |
126 | 1992/4/5 | 鈴鹿 | 藤原岳 | 5名で | |
坂本谷〜聖宝寺 フクジュソウとニリンソウ・イチリンソウの端境期で藤原らしい華やかさに欠けていた |
|||||
127 | 1992/4/19 | その他 | 能郷白山 | 5名で | |
前夜発 神社から能郷谷へ行く道で迷った 暗闇の中を1時間くらい探し回った 登山口の手前で通行止め そこにテントを張ったが、夜中から雨 落石が心配で引き返すことになった |
|||||
128 | 1992/5/3 | 1992/5/4 | 北アルプス | 燕岳 | 2名で |
稜線から槍が大きく見える 夜行の疲れで昼寝をしていたら、寝すぎて頂上へ行けず 明日行こうと思った明日は吹雪でやはり頂上は踏めず 登れる時に登ること・・・の教訓 |
|||||
129 | 1992/5/5 | 鈴鹿 | 御池岳 | 3名で | |
坂本谷〜白瀬峠〜御池往復 昨日は冬山の燕岳・今日は春山でお花見山行 カタクリ・ヤマブキソウが満開 コンタクトレンズを落としてしまった! |
|||||
130 | 1992/5/17 | その他 | 糸瀬山 | 4名で | |
現在地点はどこか、読図をしながら歩く 「胸突き八丁」は、つかまる木もない急登 途中から背丈ほどの笹と笹に隠れた倒木で登るのが大変 ヤマツツジとミツバツツジが鮮やか ゴヨウオウレンも咲いていた |
|||||
131 | 1992/5/24 | 鈴鹿 | 鎌ケ岳 | 4名で | |
長石谷〜頂上〜雲母峰〜から道迷い 油断は禁物 シャクナゲとイワカガミは1週間ほど遅かった |
|||||
132 | 1992/6/7 | 鈴鹿 | 御在所岳(公開山行) | 21名で | |
清掃山行兼公開山行 国見尾根〜裏道(下山のころは雨が降るだろうからと変更) メロンがデザート 今日から梅雨入りとなった |
|||||
133 | 1992/6/21 | 中央アルプス | 摺古木山 | 3名で | |
登山口までの林道が大変な悪路で、途中に車を止めて歩く シャクナゲ・イチヨウラン・コヨウラクツツジなど |
|||||
134 | 1992/7/5 | 中央アルプス | 大川入山 | 4名で | |
雨具を着けて出発 傘をさして登れるほどよく整備されていた キバナノヤマオダマキ・ベニバナイチヤクソウ・レンゲツツジなどが咲いていた |
135 | 1992/7/19 | その他 | 三界山 | 4名で | |
奥三界山に行くつもりだったが、登山道入口を勘違いして三界山へ 登りは増水した谷川をこわごわ渡ったが、下山時は水量が減っていたので難なく通過できた |
|||||
136 | 1992/7/27 | 1992/7/30 | 北アルプス | 烏帽子〜野口五郎〜三俣蓮華〜双六 | 2名で |
ブナ立尾根で同行者は、胃痛と吐き気 暑さのせいか? ニセ烏帽子にだまされた ワリモと鷲羽の稜線コースを避ける 槍は止めて下山 |
|||||
137 | 1992/8/1 | 1992/8/2 | その他 | 白山 | 4名で |
大白川ダムからの登り カニコウモリ・アカモノの実・キバナツリフネ・ミヤマホツツジ・ゴゼンタチバナ・キヌガサソウ・ヒョウタンボク・ヨツバシオガマ・マルバダケブキ・ハクサンフウロ・タカネグンナイフウロ・ニッコウキスゲ・ミヤマキンポウゲなど花いっぱい 山荘は大変な人、人、人 翌朝は3:00から騒がしくなり列を作って頂上へ 満天の星で流れ星も見えた! |
|||||
138 | 1992/8/13 | 1992/8/14 | 南アルプス | 北岳〜間ノ岳 | 5名で |
戸台口〜北沢峠〜広河原〜白根御池小屋〜北岳〜間ノ岳〜二俣〜広河原 初めての南アルプス 1日目は雨 白根御池小屋は満員で避難小屋に回された ビールもお酒も売り切れで手に入らなかった 2日目は曇りのち晴れ 北岳山荘では山と詰まれたビール箱を見て一安心 3日目は快晴 花いっぱいで大満足 |
|||||
139 | 1992/8/30 | その他 | 田立の滝 | 3名で | |
公開山行の下見 次々と現れる滝や、不安定な桟橋や吊り橋を渡って天然公園へ 「高層湿原」には、湿原はなかった ツリフネソウやヤマジノホトトギスがいっぱい咲いていた 結局公開山行には不適となった |
|||||
140 | 1992/9/6 | 中央アルプス | 木曽駒ケ岳〜宝剣岳 | 3名で | |
浄土乗越まで花を見ながらゆっくり登る 木曽駒山頂から「コマウスユキソウ」があちこちに咲いていた 「濃ケ池」には美しいイメージを持っていたが、茶色の水溜りだった 「飼駒の池は、干上がってしまっていた 頂上はガスが出て展望が無かった 夏と秋の花を見ながら千畳敷へ |
|||||
141 | 1992/9/12 |
1992/9/13 |
中央アルプス | 空木岳 | 3名で |
週休2日制になった初めての土曜休日を利用した山行 ロープウェーで千畳敷へ 濁沢岳〜桧尾岳〜熊沢岳〜東川岳を縦走して木曽殿山荘で泊 翌日、空木岳〜池山小屋経由で下山 ブロッケン現象が見えた ナナカマドの赤い実、オヤマリンドウが見頃 夏の花の名残りもあった |
|||||
142 | 1992/9/20 | 鈴鹿 | 綿向山 | 3名で | |
鈴鹿スカイライン経由で北畑谷林道へ 登山口から1合目、2合目・・・と新しい標識もある 下山は、「文三ハゲ」経由で ミカエリソウ |
143 | 1992/9/27 | その他 | 高嶺(たかね)山 | 5名で | |
「秋の花がいっぱい」というガイドブックに誘われて出かけた ワレモコウ・ウメバチソウ・カワラナデシコ・マツムシソウが咲いていた 登山口から上り始めたはいいが、途中から林道になってしまった 地元の人に尋ねると「村の開発事業で登山道は廃道になった」と 仕方が無いので林道脇ですき焼きパーティーをして帰った |
|||||
144 | 1992/10/10 | 1992/10/11 | 北八ヶ岳 | 阿弥陀岳〜赤岳〜横岳〜硫黄岳 | 2名で |
車で登山口へ 遠くから見る稜線は白い 林道の紅葉が綺麗・・・ 南沢から行者小屋へ 中岳とのコルに
ザックを置いて阿弥陀へ コケモモが真っ赤 赤岳への登りは雪・氷も溶けていた 翌朝稜線の雪が凍っていて滑るので大変気を使う 太陽館で入浴
|
|||||
145 | 1992/10/17 | 1992/10/18 | 南アルプス | 甲斐駒ケ岳 | 4名で |
アルプス林道は素晴らしい錦繍 駐車中の車のランプ消し忘れ バッテリーが上がってしまっていたのを周りの人の協力で無事帰宅 |
|||||
146 | 1992/10/25 | 鈴鹿 | 公開山行下見(鎌ケ岳) | 6名で | |
公開山行下見 長石谷〜三ツ口谷 誕生会をケーキで祝う 水量が結構多く渡渉に迷う 登り詰めたガレから振り返る紅葉の美しいこと! |
|||||
147 | 1992/11/1 | 鈴鹿 | 公開山行(鎌ケ岳) | 29名で | |
公開山行 新聞3紙に載ったおかげで20名の参加 先週より一段ときれいな紅葉 ぜんざいを作る |
|||||
148 | 1992/11/3 | 鈴鹿 | 雨乞岳 | 3名で | |
稲ケ谷往復 スリリングな道 笹の丈が高く1人通れるだけの道をもぐらかねずみになった気分で腰を屈めて通過 |
|||||
149 | 1992/11/14 | 1992/11/15 | 中央アルプス | 恵那山 | 3名で |
野熊の池避難小屋に泊まって生活技術の向上が目的 カラマツの葉は「金の針」で地上に降り積もっている 頂上で餅入りラーメンの朝食 |
|||||
150 | 1992/11/23 | 中央アルプス | 大川入山 | 9名で | |
新入会員の歓迎で展望のいい山にした 曇り空から雪雲になり、雪が降ってきた 頂上での大休憩は諦め途中の平らなところでお湯を沸かして熱いコーヒーとケーキタイム 青空が出てきたので頂上へ 頂上直下で聞こえてきた「しゃかしゃか」という妙な音は、「エビの尻尾」が、風に吹かれて落ちてくる音だった 温泉に入って帰る |
|||||
151 | 1992/12/13 | 中央アルプス | 千畳敷(氷雪技術訓練) | 愛知県連 | |
愛知労山の氷雪技術講習会に参加 1日目晴れ 計画通りの訓練 埋没体験も買って出る 息苦しくパニックに なりそう 雪の中では声が地上に届かない 2日目滑落停止の訓練中から天候悪化 雪崩の危険あり・・・で一時は下山を中止することも考えられた
鼻水も呼気もコンタクトレンズも凍り顔中氷で囲まれる 視界がぼうっとして前の人の背中を必死の思いで探して歩く ホワイトアウトでルートが分からず一瞬見えたロープウエー駅を目当てにやっとの思いで着 |
152 | 1992/12/28 | 1992/12/30 | その他 | 金峰山 | 4名で |
中央道の須玉ICで降り、増富温泉→瑞牆山荘へ(登山口) テント泊なのでザックが重い 大日小屋のテント場で泊 雪はところどころにあるのみで適当な場所がない 水場はチョロチョロだが流れていたので、ラッキー 翌朝はアイゼン・ピッケルで出発 山頂からは南アルプス・八ヶ岳・浅間山・小川山などぐるりの展望 |
1993年 山へ行けば元気になり、仕事でのストレスも山で癒すことができた
NO. | 山行年月日 | 山域 | 山名 | メンバー | |
153 | 1993/1/3 | 1993/1/5 | 北八ヶ岳 | 縞枯山〜高見石〜天狗岳 | 4名で |
ピラタスロープウエー運休 スキー場横を登る 縞枯山荘での夕食にすき焼きを作る 縞枯山の下りでピッケルを拾う 道々尋ねながら歩いたが持ち主は分からず 白駒池は真っ白に氷結 黒百合ヒュッテでは南米音楽のライブ 鳥の爪でできた楽器を借り合奏に参加 すばらしい天候の下、両天狗に登頂 |
|||||
154 | 1993/1/9 | 中央アルプス | 南木曽岳 | 2名で | |
喉の滝〜山頂〜周遊コースで 鎖場にかかると雪が降って来た スパッツを着けるほどの雪の量でもない 階段や梯子の上の凍っている雪を崩しながら登る 雪のため視界がきかないので早々に下山 |
|||||
155 | 1993/1/15 | 鈴鹿 | 霊仙山 | 7名で | |
雪を期待していたが、クリスマス寒波以来降っていないので少々 柏原〜汗拭き峠 下山路は今までに体験したことのないほどのどろどろ・ぬるぬる・ぐちゃぐちゃ 冬季雪のない霊仙山には来るべからず・・・の教訓 |
|||||
156 | 1993/1/24 | 鈴鹿 | 御在所岳(労山のつどい) | 5名で | |
愛知「労山のつどい」に参加 タイムトライアル組と交流登山に分かれ国見尾根へ 1週間前の下見では雪がなかったというが、その後降った大雪で鈴鹿とは思えないほどの深い雪となり、3時間かかってやっと朝陽台に着 カモシカに出会う 未踏トライアルパーティーは1位 |
|||||
157 | 1993/1/31 | その他 | 高賀山 | 2名で | |
多治見から1時間30分で高賀神社の駐車場へ 登山口の雪、4〜5cm 頂上付近は30〜50cmほど 頂上まで階段が続いているらしかったが、雪で隠されていたので単調な登りとはならなかった |
|||||
158 | 1993/2/13 | 1993/2/14 | 南八ヶ岳 | 硫黄岳 | 5名で |
白河原から見上げる大同心〜赤岳の稜線は青い空をばっきに白く輝いて思わず見とれてしまった 行者小屋は改装されトイレも新しくなっていた 夜はトランプで遊ぶ 個室を2部屋頼んだのでふわふわのお布団、ふわふわの毛布で快適 翌日は雪とガス 行者小屋〜赤岳往復の計画だったがガス・雪のため硫黄に変更 −16℃ 稜線は吹き飛ばされそうなほどの風とガス 硫黄岳頂上は断念して下山 「もみの湯」で入浴 電車の中でも宴会とトランプで楽しんだ |
|||||
159 | 1993/2/21 | 鈴鹿 | (藤原岳)・坂本谷 | 3名で | |
雨具をつけて中電分岐へ 雨の中登る理由もなく引き返す フクジュソウの蕾多数 |
160 | 1993/3/13 | 鈴鹿 | 白瀬峠 | 2名で | |
トレーニングと花の観察を兼ねた山行 坂本谷から フクジュソウが咲いていた 稜線はまだ深い雪 |
|||||
161 | 1993/4/10 | 鈴鹿 | 霊仙山 | 2名で | |
醒ヶ井から入山 登山口から山道に入ると木の葉っぱの雪が溶けてざーざーと雨のように降ってくる 5合目からは「ねちゃぐちゃつる」状態 まだ花には早いと判断して引き返す 花はショウジョウバカマ・ヤマルリソウ・キブシ・フサザクラ・ヤブツバキ・スズシロソウ・ミヤマカタバミ(咲き始め)くらい |
|||||
162 | 1993/4/18 | 鈴鹿 | 宮指路岳 | 11名で | |
名古屋から2台、多治見から1台の車で ヤケキ谷〜頂上〜小岐須峠〜大石橋コース 登山口まではヤマザクラが満開 花は少ない |
|||||
163 | 1993/5/3 | 鈴鹿 | 御池岳(白瀬峠まで) | 6名で | |
坂本谷〜白瀬峠 前日の大雨のせいで静かな山行となった 佐藤さんの足が痛くなって引き返すことになった ニリンソウ・ラショウモンカヅラ・ハシリドコロなど ヤマブキソウ・カタクリはまだ早い プロパンガスのボンベを落としたパーティーがありびっくり |
|||||
164 | 1993/5/9 | 鈴鹿 | 霊仙山 | 7名で | |
柏原〜うるし滝〜上丹生コース 登山口付近からもう花がいっぱい咲いている 午後から雨・・・の天気予報で頂上はパスして谷山谷へ 谷山谷は始めから終わりまで花・花・花 ヤマルリソウ・タチカメバソウ・イカリソウ・カタクリ(色が冴えず元気なし)・イチリンソウ(圧巻)・ヒトリシズカ・ワサビ・ヤマシャクヤクなどたくさん咲いていた まさに花の霊仙山 |
|||||
165 | 1993/5/16 | 中央アルプス | 大川入山 | 7名で | |
定例山行 シロバナエンレイソウ・ショウジョウバカマ・ヨウラクツツジイワウチワ・ベニバナイチヤクソウ(蕾) |
|||||
166 | 1993/5/30 | 鈴鹿 | 御在所岳(公開山行下見) | 4名で | |
公開山行の下見 中道〜表道 今年は当たり年で花が多い アブラツツジ・ベニドウダン・イワカガミ・シロヤシオなど 朝陽台のお店で豚汁・こんにゃくおでんを食べてゆっくりする |
|||||
167 | 1993/6/6 | 鈴鹿 | 御在所岳(公開山行) | 9名で | |
公開山行 一般参加者 5名で 清掃山行も兼ねる 中道〜国見尾根 |
168 | 1993/6/13(前夜発) | その他 | 小秀山 | 4名で | |
乙女渓谷キャンプ場広場にある木の橋の上にテントを張る 湿っぽくなくて快適 沢音がうるさくて眠りが浅い 二の谷〜山頂〜三の谷コース シャクナゲがずうーーーっと山頂まで続いていた それも目の前、匂いがかげるほどの近くに咲いていた |
|||||
169 | 1993/7/4 | その他 | 大日ケ岳 | 2名で | |
大日口バス停→貯水場手前の広場に駐車〜胸突き八丁〜いっぷく平〜大日ケ岳往復 ササユリ・ゴゼンタチバナ・アカモノ・マイヅルソウ・ツクバネソウ・ホウチャクソウ・サンカヨウ(実)・ヤマオダマキ・ミツバオウレン・イワカガミ・ツバメオモト(実)・ヤマボウシ |
|||||
170 | 1993/7/18 | その他 | 蕎麦粒山 | 2名で | |
大垣IC=横山ダム=R303=広瀬=大谷林道(P) 登山口を見つけるのに手間取る 雨で増水した沢の渡渉は、靴のままジャブジャブ 向こう岸で靴の水を出し、靴下を絞って登る 「シャクナゲ並木」といっていいほど、たくさん咲いていた 取付点と鞍部の中間辺りで時間切れ 引き返す |
|||||
171 | 1993/7/24 | 鈴鹿 | 鎌ケ岳 | 2名で | |
長石谷〜三ツ口谷 夏山縦走のためのトレーニング山行 ギボウシ・コキンレイカ・ヤマアジサのみ 夏の鈴鹿は花が少ない |
|||||
172 | 1993/7/28 | 1993/8/1 | 北アルプス | 黒部五郎岳〜雲の平 | 2名で |
深夜の米原発「きたぐに」グリーン席で富山へ 直通の折立行きバスに乗車 黒部五郎岳の雪渓の水がおいしかったこと! 雨の中三俣山荘へ 台風接近の中雲ノ平山荘へ 満員以上 満員の太郎平小屋を止め下山 乗り継いで多治見に24:00着 |
173 | 1993/8/6 | 1993/8/8 | 南アルプス | 甲斐駒ケ岳〜仙丈岳 | 3名で |
戸台〜北沢峠〜馬の背ヒュッテ〜仙丈〜北沢峠〜双子山〜駒ケ岳〜仙水峠〜北沢峠 ガスで視界悪し 印象もイマイチで評判悪し |
|||||
174 | 1993/8/19 | 1993/8/22 | 北アルプス | 白馬岳〜雪倉岳〜朝日岳 | 2名で |
白馬駅からバスで栂池へ 雨 白馬大池の水量が多く花が水の中でゆれている 白馬岳への途中で雷 ツエルトを
被って雷雨が止むまで避難 薄いナイロン1枚が頼もしい ツバメ平ではバケツを開けたような土砂降り 川や滝のような登山道を朝日小屋へ やっ
と雨が止む 下山は「下る」と思ったのが大違い 瀬戸川からの登りがきつかった 花・花・花のルートで天候以外は大満足 |
|||||
175 | 1993/9/5 | 鈴鹿 | 竜ヶ岳 | 3名で | |
来週の西穂のためのトレーニング山行 新しい靴の履き慣らしも兼ねて ホタガ谷〜ヨコ谷(初めて) この夏「竜」で女性1人亡くなっているので注意していく 足の痛いメンバーのリハビリも兼ねる 30分ほど歩くと足が痛くなる・・・と 緑の笹原、青い空、白い雲 ヨコ谷はとても急で左右の木を掴みながら下る |
|||||
176 | 1993/9/11 | 北アルプス | 西穂高岳 | 4名で | |
テント泊山行 車が長い登り・下りでトラブル(スピードが出なくなった) ロープウエー利用して西穂山荘のテント場へ 西穂山荘は立派な小屋に返信していた 上のテント場は満員 下の段で張る よく朝は「焼」も「笠」もくっきり見えた 花は少ないが展望良しの山 |
|||||
177 | 1993/10/3 | 鈴鹿 | 霊仙山 | 3名で | |
柏原〜谷山谷 パノラマコースを下山 景色はいいが谷の良さが省略されてしまうので物足りない |
178 | 1993/10/9 | 1993/10/11 | 北アルプス | 奥穂高岳〜涸沢岳 | 4名で |
人・人・人で溢れる上高地〜涸沢 テント泊でラッキー 帰りの混雑を避けるため早朝発とする おかげですいすいと帰宅 |
|||||
179 | 1993/10/24 | その他 | 石巻山(清掃山行) | 8名で | |
石巻神社の駐車場から 多米峠まで行けず引き返す 登山道にはゴミが少ないが、車で入れて景色のいい広場にはどっさりあった 手も洗えず家まで帰った 駐車場のゴミ広いなんて! |
|||||
180 | 1993/11/3 | その他 | 夕森山 | 3名で | |
出ケ谷〜最終水場〜山頂往復 カラマツ林 ツルニンジン 山頂でバター焼きとビールでゆっくり休憩 |
|||||
181 | 1993/12/5 | 鈴鹿 | 鎌ケ岳 | 3名で | |
長石尾根〜山頂〜三ツ口谷コース 初めて長石尾根を通しで歩く サルトリイバラの赤い実 「しまや」で打ち上げ |
|||||
182 | 1993/12/11 | その他 | 二ツ森山 | 3名で | |
切越峠〜山頂〜林道〜切越峠コース 雪がちらちら降る中を歩く ミヤマシキミの赤い実がどっさり |
183 | 1993/12/19 | 鈴鹿 | 撤退のコグルミ谷 | 3名で | |
コグルミ谷の登山口からもう雪道が始まる 雪が多く真の谷との合流点手前で引き返す |
|||||
184 | 1993/12/28 | 1993/12/30 | 北八ヶ岳 | 北横岳〜縞枯〜茶臼〜ニュウ | 3名で |
時刻表の読み間違いで同行者1名と合流できずあわてる 北横岳ヒュッテでやっと合流(泊) 夕食はすき焼き 満月 翌朝展望抜群 高見石小屋(泊) ここの自炊小屋はgood ニュウ登頂後黒百合ヒュッテから下山 |
1994年 春の花・夏の花・秋の花を尋ねて、山登りを楽しんだ
NO. | 山行年月日 | 山域 | 山名 | メンバー | |
185 | 1994/1/3 | 鈴鹿 | 伊吹山 | 4名で | |
雪が少ない 山は土が9 雪が1の割合 |
|||||
186 | 1994/1/15 | 鈴鹿 | 鎌ケ岳 | 4名で | |
三ツ口谷〜山頂〜長石尾根〜長石谷 伊吹山スキー場情報は15cm ガレ場では強風にあおられる 犬星の滝の所で長石谷と合流 |
|||||
187 | 1994/1/23 | 鈴鹿 | 白瀬峠 | 3名で | |
雪が深いので白瀬峠まで・ |
|||||
188 | 1994/1/31 | 鈴鹿 | 御在所岳(国見尾根から引き返し) | 6名で | |
昨夜からの積雪 国見尾根へのルートはラッセル 久しぶりで嬉しい ふわふわの新雪で掻いてももがいても前進できずガレの途中から引き返す |
|||||
189 | 1994/2/11 | 2/12 | 鈴鹿 | 大雪の坂本谷テント泊 | 5名で |
鈴鹿のスキー場情報は120cm 真の谷でのテント泊を予定 腿からおなかの辺りまでの大雪のためラッセルがは
かどらず 滝状岸壁はザックを置いて空身になってラッセルするが時間切れ 15:30、2時間もかかってやっと整地・張り終える 翌朝、下山
この日霊仙山での遭難騒ぎをニュースで見る |
|||||
190 | 1994/2/20 | 鈴鹿 | 霊仙山(公開山行下見) | 5名で | |
公開山行下見 1週間前に大阪労山の遭難騒ぎがあった霊仙山へ 7合目まで 林さん持参のケーキで合同誕生会と中村さんの退院祝い |
|||||
191 | 1994/3/13 | 鈴鹿 | 藤原岳 | 3名で | |
坂本谷〜聖宝寺 フクジュソウ観察山行 避難小屋上では、格好のスキー場となっている |
192 | 1994/3/19 | 1994/3/20 | 鈴鹿 | 御池岳〜鈴北岳 | 3名で |
真の谷のテント泊に再挑戦 林さんの新しい緑色のテントを使う テント場は1mばかりの積雪 御池頂上には大阪労山のテント3張り 1ヶ月前の雪辱戦だと 登山道なんて意に介しない登り方に感銘 |
|||||
193 | 1994/4/3 | その他 | 笙ケ岳 | 2名で | |
養老駅〜養老公園〜三方山〜笙ケ岳往復 登山口はロープウエーの駐車場 新しいザンバランの靴で靴擦れ 傷テープを貼っても効果なし 1週間ほど靴が履けなかった いくつもの小ピークを上り下りする |
|||||
194 | 1994/4/17 | 鈴鹿 | 油日岳〜那須ガ原山〜唐木岳 | 4名で | |
新しい山 関西線柘植駅からタクシーで登山口へ 新しい山の久しぶりのどきどき感がたまらない |
|||||
195 | 1994/4/29 | 鈴鹿 | 御池岳 | 7名で | |
坂本谷は大混雑 イワウチワもカタクリも不作の年?? 真の谷へ下りる途中、道迷い 間をあかせないようにの鉄則を忘れていた |
|||||
196 | 1994/5/1 | 鈴鹿 | 霊仙山 | 2名で | |
白、紫、ピンクのスミレ・タネツケバナ・イカリソウ・ニガイチゴ・ショ ウジョウバカマ・チゴユリ・ボケ・クサイチゴ・ムラサキケマン・シロモジ・ハシリドコロ・ヤマシャクヤク(上の方は蕾、下のほうは見頃)・イチリンソウ・
ニリンソウ・ネコノメソウ・ヒトリシズカ・ワサビが咲いていた 春は坂本谷と霊仙山はぜひ来なくっちゃあ 帰りは三つ葉をどっさりお土産に 山の三つ葉は香りが高い |
|||||
197 | 1994/5/4 | 鈴鹿 | 烏帽子岳 | 5名で | |
伊吹北尾根の計画だったが、ガスと強風とふ喫茶裸子の稜線を歩く気にならず引き返す もうちょっと低くて安全な山は無いか探すと「登り1時間、下り50分」の烏帽子岳を地図で探し出した 雨の中を頂上へ 稜線歩きではないので風はなし 代わりにヒルがどっさりいた!駐車場でヒル探し あとからあとから見つかった シャツもズボンも靴下も替えたが、まだなんだかむずむずして気持ち悪い 計画書に無い山行をしたということで、あとで総括された |
|||||
198 | 1994/5/14(前夜発) | その他 | 能郷白山 | 4名で | |
関・武芸川・根尾経由で行く予定が、後10数キロのところで時間通行に引っかかり迂回 1時間半の遅れとなった 登山口を見つけるのに苦労する いきなりの急登、殆ど直登 新緑が眩しい ムラサキヤシオ・イワナシ 4合目のピークから山頂を望むとはるか遠くの稜線上に鳥居が見える(15時前) これから山頂へ行ってテント場に着くのは19時頃と計算し諦める 翌日の小津権現も、天候悪化・・・の情報で中止とする 多治見で泊まってテント泊の食事を食べる |
199 | 1994/5/29 | 鈴鹿 | 御在所(公開山行下見) | 6名で | |
清掃山行の下見 本谷〜中道 本谷は初めて お気に入りの3本に入れる |
|||||
200 | 1994/6/5 | 鈴鹿 | 御在所(公開・清掃山行) | 9名で | |
清掃山行兼公開山行 2人の一般参加者 今年はシロヤシオが少ない |
|||||
201 | 1994/6/11 | 1994/6/12 | 中央アルプス | 越百山〜仙涯嶺 | 4名で |
避難小屋で寝具持参の素泊まり山行 オーナーの伊藤さんが苦労してこの小屋を建てた話を聞く ご来光を見に早朝 出発 稜線近くではキバナシャクナゲ・ウラシマツツジ 中腹付近はオサバグサ・イチヨウラン・イワカガミ・ミツバオウレン・ヒメイチゲなどいっぱ
い |
|||||
202 | 1994/6/25 | 1994/6/26 | 南アルプス | 北岳 | 5名で |
韮崎〜広河原(P)〜二俣〜北岳肩の小屋(泊)〜北岳〜北岳山荘〜トラバース道〜北岳〜二俣〜広河原(P) お目当
てのキタダケソウに会えた サンカヨウ・キバナシャクナゲ・オヤマノリンドウ・ハクサンイチゲ・ミヤマオダマキがいっぱい 自然監視員にキバナノア
ツモリソウを教えてもらう |
|||||
203 | 1994/7/9 | 1994/7/10 | 南アルプス | 鳳凰三山 | 4名で |
初めての山 韮崎ー広河原ー夜叉神峠(P) 1日目は雨 南御室小屋で薬師小屋の宿泊予約をする 薬師小屋で泊 2日目は晴れ 薬師岳・・・観音岳・・・地蔵岳・・・白鳳峠・・・広河原 広河原からバスで夜叉神峠(P)へ シロバナノヘビイチゴ・タカネビランジ・ミヤマハンショウヅル・ベニバナイチヤクソウが多い |
|||||
204 | 1994/7/23 | 1994/7/26 | 北アルプス | 北アルプス縦走 (柏原新道〜爺ケ岳往復〜鳴沢岳〜スバリ岳〜針の木岳〜蓮華岳〜北葛岳〜七倉岳〜七倉温泉) |
4名で |
今回全て自炊 「歩く冷蔵庫」から(重たいフルーツが次から次へと出る それも冷やしてある) 朝食は山を見な がら 蓮華からのコマクサ集団には驚く シロバナコマクサも! 船窪小屋の水場はザイルのお世話になってやっと到着 ふわふわ布団のシーツ付き
下りはふわふわの苔の原生林 |
|||||
205 | 1994/8/10 | 1994/8/12 | 北アルプス | 双六岳〜笠ケ岳 | 4名で |
秩父沢から足が重い・心臓が苦しい・花に興味がなくなる・・・のバテの症状 双六小屋まで行けず鏡平小屋泊まり 翌朝は元気回復 笠ケ岳直下の水場は涸れて水なし 山頂は笠ケ岳の小屋から15分 山を見ながら食べる自炊は格別 3日目の朝食は杓子平で 冷たく冷やしたフルーツをどっさり持ってきたメンバーがいてその体力に敬服 花はもう秋の花 |
|||||
206 | 1994/8/20 | 1994/8/21 | 北アルプス | 白馬三山 | 5名で |
猿倉(P)〜白馬尻〜白馬岳〜杓子〜白馬鑓〜鑓温泉〜猿倉(P) 大雪渓の視界が悪くさっぱり分からず 村営の
小屋の自炊場は広くて快適 杓子に登頂 鑓温泉にも入浴 シロウマリンドウ・ミヤマアケボノソウ・トリカブト・タテヤマウツボグサが多い 夏
の花は終わり? |
207 | 1994/9/10 | 1994/9/11 | 中央アルプス | 空木岳〜南駒ケ岳 | 4名で |
伊那川ダムに(P) 「義仲の力水」は涸れていたので下まで水汲みに ちょろちょろ水を葉っぱに受けて水筒を満たす 自炊はヘリポートで 木曽殿山荘は満員 南駒からの道は整備もあまりしてなく分かり難い |
|||||
208 | 1994/9/23 | 鈴鹿 | 神崎川(愛知川)めぐり | 2名で | |
川沿いのいい道かと期待していたが大違い 川から何mも離れた高い所を歩く 水着を持ってきて泳ぎたい(中山)・・・ほどの水のきれいさ 下水晶谷は靴を脱いで渡渉 |
|||||
209 | 1994/9/25 | 鈴鹿 | 御在所岳(ボッカ訓練) | 7名で | |
合宿に向けてのボッカ訓練山行 |
|||||
210 | 1994/10/2 | 中央アルプス | 恵那山 | 3名で | |
カラマツはまだ緑 ナナカマドとドウダンツツジの赤が目立つ チューチューと鳴くオコジョにばったり穴に潜ったり顔を出したりの愛嬌者 目と目がバッチリ合ってしまった |
|||||
211 | 1994/10/10 | 鈴鹿 | 霊仙山 | 2名で | |
ツリフネソウ・アケボノソウ・トモエシオガマ・ナギナタコウジュ・リンドウ・アキノキリンソウ・ノジギク それに菊・菊・菊が見頃 それもずっと続いている この時期の霊仙山は初めてだがこんなにきれいだとは知らなかった・・・ マウンテンバイクを担いで登山して、下りは乗って降りてきたというオジサンたちに出会う すごいバイタリティー |
|||||
212 | 1994/10/16 | 中央アルプス | 烏帽子岳 | 2名で | |
初めての山 人があまり入ってないのか踏み跡がはっきりしない 頂上手前の見晴台からはいい眺め〜 烏帽子から先は踏み跡無しの笹原 |
|||||
213 | 1994/10/23 | その他 | 夜叉ケ池〜三周ケ岳 | 4名で | |
池ノ又谷〜幽玄の滝〜夜叉ケ池〜三周ヶ岳往復 たらたら道で夜叉ケ池へ 観光地で人がいっぱい 紅葉が見頃で団体も多数 頭までもぐる笹の中を三周ケ岳へ アキギリ・ダイモンジソウ・カライトソウ |
214 | 1994/11/12 | その他 | 糸瀬山 | 4名で | |
紅葉の真っ盛り 給水パイプの前で通行止め(路肩が崩壊) 先回の倒木やヤブコギは越百小屋の伊藤さんの整備で見違えるように歩きやすくなっていた オヤマボクチ・ドウダンツツジの真っ赤な紅葉・ |
|||||
215 | 1994/12/23 | 中央アルプス | 大川入山 | 3名で | |
登山道は積雪2cm 北横岳で積雪10cm 山頂から望む穂高や乗鞍は空気が澄んでいるせいか、くっきり近くに見えた |
|||||
216 | 1994/12/29 | 1994/12/31 | 中央アルプス | 越百山 | 3名で |
ダムまで道に雪無し 遠見尾根からは雪が多くなった 水場分岐から踏み跡なし 小屋での夕食の後出た「コケモモ酒とシラタマ酒」が、とてもおいしい! 豆炭アンカをあ1人2個ずつ入れてもらった 翌朝の朝食は避難小屋での自炊 雪も多くなり冬山らしくなった 冬道を通って山頂へ |
1995年 この年の6月に、多治見労山へ移籍 新しい仲間との山行が始まった
NO. | 山行年月日 | 山域 | 山名 | メンバー | |
217 | 1995/1/5 | 中央アルプス | 恵那山 | 5名で | |
黒井沢から入山 前回の雪に比べれば1/20くらい 針葉樹に付いた雪は砂糖菓子のよう 風の吹きぬけるところには「えびの尻尾」がたくさんできていた 避難小屋に13:00着 下山は16:45着 |
|||||
218 | 1995/1/14 | 鈴鹿 | 霊仙山 | 単独 | |
黒井沢から入山 前回の雪に比べれば1/20くらい 針葉樹に付いた雪は砂糖菓子のよう 風の吹きぬけるところには「えびの尻尾」がたくさんできていた 避難小屋に13:00着 下山は16:45着 |
|||||
219 | 1995/2/12 | 鈴鹿 | 藤原岳・(白瀬峠まで) | 2名で | |
御在所スキー場情報120cm 坂本谷〜 滝状岸壁の下 向こう側の斜面を腹を波打たせて下流に向かって走っていく熊を発見!!白瀬峠12:30 引き返す |
|||||
220 | 1995/2/19 | 鈴鹿 | 霊仙山 | 2名で | |
雪が多くて嬉しい 4合目からは冬道 避難小屋からトラバースして下りの尾根道へ 「天狗」か「硫黄」のような素敵な景色に変容 |
|||||
221 | 1995/3/21 | 鈴鹿 | 藤原岳 | 2名で | |
坂本谷〜聖宝寺 フクジュソウがいっぱい!! 稜線は冬景色 雪道はどこでも歩けてしまって楽しい |
|||||
222 | 1995/3/29 | 鈴鹿 | 御在所岳 | 2名で | |
国見尾根〜裏道 マンサク・ヤブツバキ・アセビ・ショウジョウバカマ早春の花がいっぱい 滝の上から冬景色 |
|||||
223 | 1995/4/2 | 鈴鹿 | 藤原岳 | 3名で | |
坂本谷〜大貝戸 中電の分岐から尾根ルートへ フクジュソウ・セツブンソウ山行 滝状岸壁の辺りのフクジュソウはすでに終わっていた その先には、咲き始めたばかりの初々しいフクジュソウ 天狗岩付近のフクジュソウはまだ芽を出したばかり 避難小屋からの道は今までで一番ひどい泥ぐちゃ道 表道は乾いていた 山は大混雑 |
|||||
224 | 1995/4/29 | 鈴鹿 | 霊仙山 | 単独 | |
単独 柏原〜うるし滝 ヤマルリソウ・ニリンソウ・ヒトリシズカ・イチリンソウ・オドリコソウ・ムラサキケマン・カキドオシ・ユキザサ・ボケ・ヤブツバキ・クサイチゴ・ヒメウズ・シキミ・ホトケノザ・イカリソウ・モミジイチゴ・ニガイチゴ・ワサビ・ヤマエンゴサク・ヤマブキ・シャガ・シャク・コクサギなどが咲いていた ヤマシャクヤク・ニリンソウ・ハシリドコロはまだ少々早め 話相手もいないので俳句を作りながら歩く |
|||||
225 | 1995/5/4 | 鈴鹿 | 御池岳 | 2名で | |
坂本谷〜白瀬峠〜真の谷〜御池への登り口で引き返す ハシリドコロ・ヤマブキソウ・カタクリ・イワウチワ・アズマイチゲ・ミヤマカタバミ・ヤマエンゴサク |
|||||
226 | 1995/5/7 | 鈴鹿 | 鎌ケ岳(公開山行下見) | 単独 | |
単独 公開山行の下見 アカヤシオで全山真っ赤 そのほか、トウゴクミツバツツジ・コバノミツバツツジ・コブシ・イワウチワ・ハルリンドウが咲いていた |
|||||
227 | 1995/5/28 | 鈴鹿 | 鎌ケ岳 | 3名で | |
前回の山行から2週間あとだと、シャクナゲ・ヤマツツジ・シロヤシオが満開になっていた 近鉄湯ノ山温泉駅から臨時バスが出るほどの混雑振り |
|||||
228 | 1995/6/10 | 鈴鹿 | 伊吹ー北尾根 | 2名で | |
ゴンドラで3合目まで ガスで山頂は見えず グンアイフウロ・ニッコウキスゲ・ヤマツツジ・クワガタソウ・ニリ
ンソウ・シオヤキソウ・ヤマブキソウ・ラショウモンカズラなど花いっぱい 国見峠からバス停までが遠い遠い・・・・17:10バス停着 愛知労山
としては最後の山行 |
|||||
229 | 1995/6/25 | 1995/6/25 | 北アルプス | 焼岳 | 5名で |
多治見労山入会後初めての山行 めいめいのスピードで気ままに登る山行スタイルに驚く |
|||||
230 | 1995/7/9 | 鈴鹿 | 御在所 | 3名で | |
本谷(初めて)〜中道 岸壁のへつり・急登・岩穴を抜けるなど変化のあるコース |
|||||
231 | 1995/7/16 | その他 | 小秀山 | 5名で | |
232 | 1995/7/23 | 1995/7/25 | 北アルプス | 北アルプス縦走 (柏原新道〜爺ケ岳〜布引岳〜鹿島槍ケ岳〜五竜岳〜唐松山荘〜八方池山荘) |
2名で |
梅雨明けが遅く出発を1日伸ばししながら待つ レンズを忘れてしまった! 自炊でザックは17kg シラネアオイがきれい・・・ 鹿島槍南峰からの下りにヒヤリ 五竜までの岩・鎖にうんざり もう岩はいいわ・・・ |
|||||
233 | 1995/8/4 | 鈴鹿 | 鎌ケ岳 | 2名で | |
鈴鹿で夏一番涼しいコース メンバーは暑さに負けて吐き気を催す 三ツ口谷で裸足になり足を沢水につける 冷たい牛乳でフルーチェを作って食べたら気分が良くなった・・・と |
|||||
234 | 1995/8/11 | 1995/8/13 | 北アルプス | 夏山合宿:槍ヶ岳 | 5名で |
夏山合宿 新穂高〜双六〜槍〜槍平ルートで |
|||||
235 | 1995/8/17 | 1995/8/19 | 北アルプス | 五色ケ原〜薬師岳 | 2名で |
4年前怪我をして行けなかった念願の薬師岳へ再挑戦 |
|||||
236 | 1995/8/26 | 鈴鹿 | 釈迦ケ岳 | 3名で | |
庵座の谷〜猫岳 松尾尾根までは腕力のいるコース 暑くて暑くて冷たいデザートがおいしい |
|||||
237 | 1995/9/9 | 1995/9/10 | 中央アルプス | 木曽駒ケ岳 | 2名で |
福島Bコース〜福島Aコース 水場は晴天続きで量少なし 玉の窪山荘泊 |
|||||
238 | 1995/10/1 | 鈴鹿 | 霊仙山 | 2名で | |
醒ヶ井からの予定がタクシーが捉まらず柏原〜に変更 吹きっさらしの頂上 後、雨 汗拭き峠へ 秋の花・百花繚乱 |
|||||
239 | 1995/10/10 | その他 | 南沢山 | 5名で | |
ふるさとの森自然園〜南沢山〜横川山往復のハイキングコース 信濃路自然歩道伊那谷ルートの一部 センブリ・マルバマンサクの紅葉と笹原の中の道 |
|||||
240 | 1995/10/14 | 鈴鹿 | 国見岳 | 2名で | |
国見尾根〜中峠〜朝明 朝明で鱒の塩焼きを賞味 |
|||||
241 | 1995/11/5 | 中央アルプス | 大川入山 | 8名で | |
山頂から御岳・乗鞍穂高・槍がはっきり見えた 中央アルプスも南アルプスもよく見えた ツルリンドウの赤い実 リンドウ |
|||||
242 | 1995/11/11 | 鈴鹿 | 御在所岳 | 単独 | |
単独 紅葉を求めての山行 初めての一の谷新道〜中道 ツツジ科の葉が真っ赤 雨・晴れ・ガス・あられ・みぞれと目まぐるしい |
|||||
243 | 1995/11/19 | 鈴鹿 | 御池岳〜鈴北岳〜鈴ケ岳 | 5名で | |
念願のコース 車を下山してくるトンネルの出口に置いてからコグルミ谷へ移動 薮こぎあり |
|||||
244 | 1995/11/26 | 鈴鹿 | 藤原岳 | 3名で | |
坂本谷〜大貝戸 避難小屋から頂上までは笹の中にもぐって歩く 冬枯れの景色 |
|||||
245 | 1995/12/17 | 鈴鹿 | 鎌ケ岳 | 2名で | |
尾根に出ると雪・風 見る見る間に雪が積もる アイゼンも使用 一番安全な長石尾根往復とする |
|||||
246 | 1995/12/23 | 中央アルプス | 富士見台 | 4名で | |
強清水手前で道路の凍結 チェーンをつけて強清水へ(P) 神坂峠からアイゼン歩行 雪が少なく多いところで20cm |
|||||
247 | 1995/12/29 | 1995/12/30 | 北アルプス | 燕岳 | 2名で |
宮城のゲートから4時間かかって中房温泉へ 吹雪の中他パーティーと協力してのラッセルでやっと燕山荘へ 翌日は快晴だが風が強く頂上を断念して下山 |
1984年〜1990年はこちら | 1991年〜1995年はこちら | 1996年〜2000年はこちら |
2001年〜2005年はこちら | 2006年〜2010年はこちら | 2011年〜現在まではこちら |