あの奥村さんにバッタリ 藤原岳 |
●場 所 | 三重県藤原町 |
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●標高 | 1144m (山頂まで行かず・藤原山荘まで) |
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●山行日 | 1996年2月25日 |
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●コース |
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●多治見から登山口まで | JR多治見駅ーJR名古屋駅―近鉄富田駅ー三岐鉄道西藤原駅・・・坂本谷登山口 ※ ー鉄道 =自動車 ・・・徒歩 ⇒バス |
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●参加者 | 林、丹羽 |
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2週間前が霊仙なら、今度は藤原・・・と、当然なる。 9:10西藤原駅発。 『ふわく』の会員で多治見市に住んでいる女性と出会った。 団体に巻き込まれないよう、早足で追い抜き、坂本谷登山口へ向かった。 9:35登山口。 水場の手前で休憩している男性2人に出会い、『お先にどうぞ』と出発を待っていた。 この人達が、奥村さん達だったと、あとで分かった。 水場を渡ったところで休憩。9:45。 そのままノンアイゼンで行こうかと歩き始め たら、雪が多くなり滑りそうだったので、 またすぐザックを下ろし、アイゼン装着。 10:00。 雪は例年より多く、身が引き締まるような寒さもかえって心地よく感じられた。 いつもの辺りで休憩。 10:45。 霊仙と比べ、動物の足跡が少ない・・・と、思った。 同行者は、「ここは里に近いし、霊仙のように奥深くないから」・・・と解説。 少し歩くと、同行者が靴擦れを訴えたので休憩。 大型のバンドエイドを捜し手当をした。 私も、アイゼンを外した。 尾根の中電分岐の辺りから、風が強くなり寒さを感じたので、雨具の上を着た。 雪が多く、トラバースするのに滑り落ちそうで、注意しながら歩いた。 水場は、もちろん雪の下。 こんもり・ふんわりと積もった雪の斜面が白一色で美し い! 白瀬峠に、11:25着。 そこに先程の男性2人。 「健脚ですね。」と声を掛けられた。 「あまり休憩に時間を取りませんから」と答えた。 ザックを下ろし、休憩していると、 「あの人が奥村さんですよ。」と、何の話のきっかけだったか思い出せないが、 話題にのぼった。 「ええ~っ!あの奥村さん?国鉄の?わ~っ、握手させてください!!」 と、ミーハ ーになったように喜んだ。 握手の後、「一緒に写真を撮りましょう。」・・・と、願ったりかなったりの展開になった。 奥村さんを真ん中に、同行者と3人で写真を撮ってもらった。 奥村さんの地図に触発されて、花地図を描いていることや、 どうやってあんな詳細な地 図が描けるのか・・・とか、 凄いスピードで歩かれることや、 大きな重いザックを背負っておら れることなどを話すと、 「さささっと絵を描く」「ブッシュの中を凄いスピードで歩く」・・・などと、 もう1人の人から聞いた。 「 新しい地図を持っていますか?」と聞かれ、持っていないことを答えると、 「あげましょう。」だって。 「わ~い、嬉しい~」 (早速、1、2日後に分厚い大きなファイルが2人分も送られてきた) そこへ、先程追い抜いた女性が到着したが、 彼女は奥村さんのことを知らないようだった。 奥村さん達は、今日は御池へ。 我々は、藤原へ。 先に出発した。 鉄塔までの道は、雪が深く、いつもなら木の枝が邪魔しないのに、 底が嵩上げされて枝が丁度顔のあたりにきて、 掻き分け掻き分け進んだ。 トレースは、いつもの一直線ではなく、蛇行してついていた。 邪魔な木を避けてのことらしい。 鉄塔から下った風の少ないところで休憩。 13:20。 もう50分たったとは思えない。雪の上は楽々と歩けてしまう。 いつも、泥ぐちゃの所も、今日は快適に つるっ、つるつるっと滑り降りるよう に歩けてしまった。 避難小屋に14:08着。 ココアタイムを取ることにした。 14:40発。 下りは、アイゼン装着。 大勢がシリセードをしたらしく、登山道はめちゃめちゃに 荒らされ、 何本ものお尻の跡があっちにも、こっちにも。 どうやらここは遊びの場所だっ たらしい。 荘厳な雪山から、俗な遊園地に入り込んだような気分。 ピッケルとアイゼンで一気に下った。 お陰で、翌日、久し振りに太腿がいたくなった。 15:15には、もう、5合目と6合目の間まで来てしまった。 休憩。 16:10の電車は無理かと思っていたが、急ぎに急いで、なんと、駅に、16:00着。 財布の入った袋が紛失した!と大騒ぎしたが、 いつもの入れ場所を変えたための錯覚と分かりほっとした。 奥村さん達とは一緒の電車ではなかった。 後日、大きな包みが届き、『返事不要』と書いてあったが、 お礼の手紙と、ビール券と、切手と、多治見植物の会の本と、 未踏の機関誌を送ったところ、またすぐ花の地図を送ってくださり、恐縮・・・ |