多治見労山創立30周年記念:海外登山に向けて

           
富士山 トレーニング山行


  ●場 所 静岡県・山梨県
  ●標高 3776m 
  ●山行日 1996年8月25日 前夜発
  ●多治見から登山口まで 多治見=R19=南木曽岳登山口付近の駐車スペース・・・上の原登山口
 
※ ー鉄道 =自動車 ・・・徒歩 ⇒バス
  ●参加者 神戸、中山、梶田、奥村敏、甲、丹羽
  ●コースタイム 多治見
駐車場
・・・・・・・・・
駐車場
7合目
8合目
頂上
剣ヶ峰
奥の宮
8合目
登山口
駐車場
前日の17:15発
22:15着
・・・・・・・・・・
4:00発
5:10〜5:20
6:35〜:55
8:50
9:15
10:20
11:45〜11:55
13:35着
13:55発
           周辺地図こちら     


キナパル山の高所トレーニングという話と、
まだ登ったことのない山
に惹かれて 行くことにした。

多治見、前夜の17:15発。
遅れたメンバーがいたので、予定より15分遅れ。

18:00頃、岡崎。
18:30、すごい夕立。
19:00、牧の原。
19:20〜19:55、SA で夕食。
20:50、I Cを出た。

富士山への登りに入ると濃い霧の中に入った。

近い駐車場は満員
探して探してや つと、22:15、下の駐車場着。

ここはまだ空いていた。

翌日下山してきたら、道の片側にもびっしりと車、車、車。

月がくっきり見えた。

駐車場横の草地にテントを張り、途中で買った梅酒を飲ん で横になった。

隣の男性用のテントでは酒宴。

うるさいので「消燈は?」と聞くと「23:30」 と言う答え。

「そんなあ、明日は早いから」と抗議。

結局23:15に、「丹羽さんが怒るからもう寝ようか」との声があって、静かになった。

夜中でも、駐車場の警備員の声、歩く人の声が聞こえてきた。

朝、3:00起床。4:00発。

真っ暗で星が出ていた。

フェンスの間の通路にあった「売店へ」 の標識にしたがって
上の道まで階段を上がっていった。

そこが登山口

トップを頼んで歩かせてもらった。

丹羽、中山、甲、梶田、奥村、神戸の順。

暗いので登山道がはっきりわからない。
歩きにくいな・・・と思うと登山道から外れているように思ったが、
翌日、明るい所で見れば結構幅の広い登山道だった。

眩しい投光器のついている小屋に4:25着。新6合目

何と男性二人は ここで金剛杖を買うという。
まあ、それは良い。
ストック代わりの杖はあった方が下りは楽だから。

ところがそのうちの一人は、それを床の間に飾るといって使わないばかりか、
ビニールで覆って貰っている。

何故?今?
帰りに買えばいいのに・・・

4:35発。
だんだん明るくなってきた。
ヘッドライトを消した方が明暗がわかりやすくて、無い方が良い。

7合目の小屋に5:10〜5:20。

10分ほど休んだ後に「脈を計りましょう」と言われた。

最初に登山口で計った時は、30秒で46回、今は53回。

一人の男性は減っていた。
私は増えていたが、体調が悪いとは思えなかった。

新7合目の小屋に6:00〜6:05。
おかしな番号のつけかた。7合目が二つもあるなんて。

8合目の小屋に6:35〜6:55。
20分も休むと、休みすぎ。
歩き出すと足が重くなってしまう感じがあった。

この頃から女性一人に、高度障害が出始めた。
息ができないそう で、胸が苦しかった・・・とか。

時々休んでいた。
待たなくてもいいかなあ・・・と思いなが ら先に進んだ。

9合目の小屋に7:25〜7:35。
9、5合目の小屋に8:00着。

高度障害の女性がは、だいぶ遅れて到着しそうなので、
リーダーから「無線機をオープンにするように」の指示が出た。

リーダーか彼女に付き添って、ゆっくり登るということになり、
パーティーを二つに分け、それぞれが無線機を持って連絡を取り合いながら登ることになった。

8:45、9:15、10:15、最終10:45に交信して、
9、5合目の小屋に戻ることにして8:20出発。

金剛杖の男性は途中からスピードが落ち、いつのまにか後続組と一緒になり、
3人で登るようになっていた。

8:45、頂上の手前で交信。

後続組は「半分くらいの所にいる」との返事だった。

「ゆっくり行くから」と応答があったので出発。

頂上、8:50着。あっけない到着だった。

  

剣ケ峰に向けて9:00発。9:15着。

  

後続組と交信を試みたら、できた。

「今、奥の宮に着いた所で、調子が良ければ剣ケ峰まで行く」・・・と。

右手に大きな噴火口
八ヶ岳のてっぺんが雲海の上に少し出ていた。

展望はそれだけ。

記念写真を撮って9:30発。

登頂記念は、落書きの代わりに白い石をならべて思い思いの「落字」

ぐるっとお鉢周りをして10:15に交信すると、
後続組は剣ケ峰から下る所だという。

ちょうど我々もその時刻に奥の宮へ着きそう。
これで一緒に下れる。良かっ た!

10:20、奥の宮に着いた。すぐ後続も到着。

一番若い男性に、お湯を沸かしてもらって休憩。 10:55発。

下からTVの機材を担いだ人たちがそろいのTシャツで登って来た。
24時間テ レビだというが、私にはなんのことやらさっぱり・・・

下りは早い
9、5合に11:10〜11:15。
9合に11:25〜11:30。
8合に11:45〜11:55。
新7合に12:15〜12:25。

金剛杖の男性は、体調が悪かった女性のストックと交換して下って来た。

ザレ場は良いが岩がごつごつした所は苦手のようで、スピードが落ち気味。

7合に12:43〜12:48。

下からどんどん登ってくるので、待っていてはいつのことになるやら・・・
で、少し道をはずして下っていった。

6合目に13:15〜13:25。

登山口に13:35着。

駐車場を13:55発。

富士山は、 溶岩の固まった黒いごつごつした岩と赤っぽいザレの道で、
何にも面白い所が無 く、歩いていれば着いてしまう山。

幼児から老人まで、山の経験が無くても登れてしまう山。

うわさに聞いていたとおり、汚い山

こんなに汚い山はそんじょそこらに無い!

やっぱり登る山ではなく、遠くから眺める山

ずいぶんの軽装で老若男女が登るし、また登ってしまう。

木も無く、花も無く、谷川も無く、ただただ日本一高いというだけの山。

高度障害がでないと分かったのでもう2度とごめんこうむりたい山。

オンタデオヤマソバかと思う花だけは、いっぱい咲いていた。

図鑑で調べると メイゲツソウという花が富士山で撮影されているから、
もしかするともしかするが、何しろ詳しく観察する暇もなかったから
はっきりとはわからない。

その他では、トウヒレンヒゴタイの仲間と、ミヤマオトコヨモギくらい。

駐車場付近には、トリカブトの仲間とシャジンの仲間が咲いていた。

車の中からはキオン?ホタルブクロなどがいっぱい咲いているのは、見えたが・・・


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