冬山合宿 |
蓼科山 (親湯〜女神茶屋 登頂できず…) |
蓼科山をバックに 女神茶屋で |
●場 所 | 長野県 | |||||||||||
●標高 | 蓼科山 2530m(登頂できず) |
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●山行日 | 1997年2月7日夜〜2月9日 | ||||||||||||
●コース | 親湯〜女神茶屋付近でテント泊:1720m〜親湯 |
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●多治見から 登山口まで |
JR多治見駅ーJR塩尻駅ーJR茅野駅(仮眠)⇒バスで親湯バス停(登山口) ※ー鉄道 =自動車 ・・・徒歩 ⇒バス |
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●参加者 | 縦走組:大谷、宮田、中山秀 ピークハント組:浦本、丹羽、佐藤幾、蓑田 |
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●コースタイム | 前日 2月7日(金)
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地図はこちら |
数日前からパッキングの用意はしていたが、食料や行動食を買っ てから最後の仕上げに取り掛かる。 シュラフとシュラフカバーは、駅で仮眠するのですぐ使うからと、手で持つことにしたが、それでも大きいザックは満タン。 19:19発の普通に乗車。多治見からの5人は誰もが背より大きな荷物を背負い、おまけにザックや腰の周りにぶらぶらといっぱいつけた異様な格好。 5人なので回数券が便利だとの考えが出る。グッドアイデア。 一番前の車両には名古屋からの女性メンバーが乗っていた。こじんまりとしたザック。 土岐でリーダーが乗車。 年休を出すのを忘れて、戻ってお説教を聞いてからの出発だとか。 これで7名、全員集合。 座席は、だんだん空いてきて全員座れる。 塩尻で乗り換え、茅野で下車。 通路に寝るとは聞いていたが、足元は汚れているし(ここらで酔っ払いがしょ んべんをしたなどと脅かされる)、吹きっさらしなので、駅の中に戻り、場所を探すと、立ち食いそばの横の通路が1人分だけ細長く空いている。 ここにき〜めた。 銀マットを敷き、シュラフとシュラフカバーを用意する。 ストーブのぬくもりはあるし、電灯の明るさは反対の頭の上からなので気にならないし、我ながら良い場所を確保したと悦に入る。 名古屋からの女性メンバーは、立ち食いそばのカウンターの下。 そのせいで、朝起きる時、頭をひどくカウンターにぶつけていた。 男性たちは、通路の思い思いの所に場所を確保した後、駅前に1軒だけ空いているカレー屋さんへ出かける。 カレーやラーメンがあり、それにビールでぐっすり眠れたとか。 私は寝る前には食べない主義。 うとうとしていると帰ってきた気配。お休みの挨拶をして寝る。 暑いので、途中で靴下を脱ぎ、チョッキを脱ぎ、ヤッケとフリースをまくらにして寝たが、途中、背中が寒いのでマットを出して敷く。
夜中、何度かがやがやと音がして列車が到着したようだと頭だけは起きていたが、朝起きてみて回りにびっしりと人がいるのには驚いた。 5:10頃ガラスの外をのぞくともう起きている人影を見たので、すばやく起きて シュラフをたたみ始めると、リーダーがガラスの外から「ガスボンベが欲しい」 と手まねで話すので「ガスの持ち主はまだ寝ている」と答えてから起こす。 女性メンバーは朝が弱いと言っていた。一時、ぼんやりとしてからやおら支度を始めた。 縦走組の銀マットとブス板を手渡してから、シュラフを一番下にしてパッキングのやり直し。 男性メンバーがガスを取りに来たついでに「何か持ちましょう」と言って私のウイスキーも持ってくれた。有り難い。 寝ている人の間や頭の上を通って外へ出、雨具のズボンをはき、スパッツ・アイゼンをすぐ取り出せるように用意して、トイレへでかけ身支度をする。 5:50に近くなったのでバス停の前に並んで待つことにする。 いつもの通路は鍵がかかっていたのでタクシー乗り場の方から下りる。 ザックが一つ置いてあったのでその後ろに置き、私の朝食、手巻き寿司と暖かい紅茶という妙な取り合わせで食べ始めるとバスが来た。 一番前に陣取り、ザックは座席に乗せる。お客は楽に座れる状態。 薄暗い外の景色を見ながらバスの中で朝食を済ませる。 暑すぎるので、運転手 さんに暖房を弱めてもらったほど。 6:30頃、「親湯入り口」に着。
バス停の前で身支度を整える。 既に朝食が終わっていた人はゆとりだが、他の人は食事と身支度。 ゆっくり朝食を食べている女性メンバーに、「時間までにズボンも穿いてスパッツもつけて」とアドバイス。 リーダーの計画では、1810mのピークを通る予定だったけれど、メインは蓼科山。 1時間半と2時間15分のコースでは大きな違い。 同じ思いの人がいたので、近い道を歩くことに変更。 6:55、やっと出発。 少し戻り、親湯方面へ右に曲がる。道は凍っていて鼻やほっべがじんじんと来るほどの寒さ。 あいにく今回は、温度計をつけてこなかった。 歩幅の大きい男性の後ろでは、ついていけず焦る。足元は滑りやすいし・・・ 親湯の裏の橋から既にトレースはなし。 見覚えのある登りを後ろからついていく。 さくさくの雪質。 途中でリーダーから、「先頭を変わるように」と指示が出る。 「う 〜ん、あんまりやりたくないな」と答えたがそんなことも言っておれないと気を取り直して「少しやります」とトップになる。 やりたくないなんてとんでもない。 「我が前に道は無し」・・・の所を、獣の足跡をたよりに進むのは面白〜い!
1回目の休憩、7:30〜7:37。 そのあとはまた、男性メンバーに交代するようにリーダ ーが言う。 で、彼に聞く。 「私の歩き方遅いですか。そうでなかったらトップを歩きたいのですが」と言うと「足に負担が来るから」と交代するように言われ、男性メンバーに代わる。 そして次はリーダーというように女性メンバー1人を除き、順繰りにトッ プで歩くことにする。 2回目の休憩、8:20〜8:25。 3回目の休憩、9:18〜9:25。 なかなか登山口まで着かない。 一度は地図を出して調べ直したほど。 それからすぐ車道へ出て、しばらく歩いてやっと女神茶屋の登山口に着。10:15。 コースタイム1時間半のところが何と!3時間20分もかかった、うち休憩が19分。
女神茶屋の軒先にいらない荷物をデポして10:35発。 女性メンバーは極小のザック一つだけ。 アイゼンも、雨具も防寒具も、食料もカンテラも全部入っているなんて信じられない程。 反対に、リーダーと男性メンバーは少しも荷物が減っていないような大きさ。 私は、極楽、極楽といえるほどの軽さ。 「気張って歩きましょう」とリーダーから声がかかる。 縦走組の前にピークハント組、つまり、私がトップ。 嬉しいな。こんなに軽くてすいすい歩けてしまう。 周りはふかふかの雪。 トレースはしっかり付いている。 こんな所にテントはどうかなと思えるようなきれいな平面があちこちにある。
しばらくはたらたらの道。そして登りに入ったとたん、女性メンバーの足が遅くなる。 待ちながら、待ちながら登っていく。 待っている間にピッケルを出して両手にストックとピッケルを持って登ることしばし。 11:05〜11:15、休憩。 縦走組の男性メンバーから「アイゼンを着けたい」と声が上がる。 「急斜面で無理な力をかけなくていいから」と。 その通り。アイゼンは私も好き。すばやく着ける。 縦走組のリーダーが遅れ気味。 彼もアイゼンを着ける。女性メンバーも。 ピークハント組の男性メンバーは「なんだか恐い」と言って着けない。 リーダーと縦走組の男性メンバー2人は無しで。 これで登りは安心。どんどん登れてしまうが、だんだん間が離れてきた頃、リーダーから「丹羽さ〜ん、縦走組を先行させて下さ〜い」と声がかかるので、縦走組3人に先を譲る。
そのすぐ後ろをついて行こうとすると、女性メンバーが腰を下ろして動かない。 迷ったが二人の後を付いて行くことにする。 どんどん離れ、困った・・・と思ったら腰を上げたらしく姿が時々見えるようになった。 しかしまた姿が見えなくなったし、リーダーともう1人のピークハント組の男性2人は全然姿も声も無い。 縦走組のリーダーに、「ここで後ろを待っています」と言って分かれようとすると、先行していた縦走組の男性メンバーから「休んでいま〜す」の声が聞こえた。 なら、私も一緒に休みますと、彼のいる所まで登る。12:00。 そのうち女性メンバーが登ってきた。 「私達2人ここで待っていますから、先に行ってください」と縦走組に言う。 「無線は定時に。たぶんもう逢えないと思うから無線で連絡しましょう」と言って先行してもらう。12:10発。
後ろの二人が登ってきた。 聞くと、男性メンバーの太ももが攣って痛くて歩けなかった・・・とか。 半分ほどの荷物をデポして登ってきたそうだ。 「暖かいものでも飲んでしば らく休めば良くなってきますよ」と声をかけ12:20まで休憩する。 リーダーから「丹羽さん、先に行っていいですよ」と声をかけられるが10分の遅れは取り戻せない。追いつかないに決まっている。 それでは、パーティーが 3つにもなってしまうので「一緒に行きます」と答える。 足が攣った男性メンバーは、「もっと早くアイゼンをつければよかった」と後悔の声。 当たり前のことを・・・ 新人だから仕方ないか! でも、ついた雪の落とし方が分からないようなので、ピッケルでコーンと靴にぶつけて雪を落 とす方法を実演して見せる。 リーダーは「14:00まで行ける所まで」と言いつつ出発。
しかし、少し行った所でやっぱり太ももが痛いらしく、「休憩〜」の声がかかる。 ちょうど蓼科山の頂上が見える所。 「しばらく休んで行ける所まで」と本人は言うが、「これから先は鍋底へ降 りていくので登りかえしが大変だし…」と私は渋る。 女性メンバーは「ここまででもいいわ」というのでリーダーも判断に困っている。 女性メンバーに「サングラスをかけた方がいいですよ」と言うと、「忘れた」の声。 ええっ!必携品なのに・・・ 茶屋に置いてきたとのこと。 リーダーのサングラスを貸してもらう。 「雪目になって痛くて目が開けられなくなって行動不能になることだってあるんですよ」とお説教。 「13:00まで行きましょう」とリーダーの声で出発する。 下って底まで降りてこれから登りらしい所で休憩。 リーダーが冗談に、縦走組のメンバーの名前を1人1人呼ぶと、何と返事が聞こえるではないか。 13:00の交信なので、無線に呼びかけている声が聞こえず、生の声が聞こえるなんてすぐ近くにいるんだとおかしくなる。 交信を始めるとちゃんと聞こえ、鍋底のちょっと上で休んでいた事が分かった。 男性メンバーの足が攣ったことを話し、こちらはこれから引き返すことを伝え、開局したままでいる旨も伝え、13:20発とする。 先程の頂上の見える所まで戻り、写真を撮り下山する。
踏み固められた道の脇に足を出すと、ずぼっと埋まってしまい、人手を借りないと抜け出れないほど。 アイゼンは腐った雪のためすぐ高下駄のようになり、歩きにくいことこの上なし。 男性メンバーのデポした荷物も無事戻り、足元に気をつけて下る。 行きにアイゼンを着けた所でやっぱりはずす。
14:00前に、「あと50mで岩場の所です」を最後に交信できなくなってしまった。 アイゼンをはずしてからは女性メンバーの下りがまた遅くなる。 15:50、登山口。 「車道をもう少し下へ行くと交信できるかも」と言われ下っていくがだめ。 引き返して女神茶屋の裏手でテント場になりそうな所をリーダーが探してく れたが、雪が深くてだめ。 やっぱり先程の登山道沿いに決まる。
デポしておいた荷物をいいかげんにザックに詰み込み、車道から5分ほど登った大きな白樺の木の近くをテント場とする。 登山道からその平らな所まで到着するのがまた一苦労。 1歩1歩のラッセルに業を煮やし、リーダーがばく進して着。 ほんの数mなのに息切れしてしまう。 さっそく雪を踏み込んで平らにならそうとするけれど、さらさらの雪なので踏んでも踏んでも固まらない。 リーダーは4人分のトイレを作りに、スコップを持って大きな木の裏手へ出かけたので、残りの3人で平らにならないままテントを張る。 張ったはいいが、割り箸ペグは効き目が無く、抜けてしまう。 足で踏み込んで押し込 む。 中に銀マット、各自のマットを入れた所で17:00になりそうになったので、大河原峠の見える所まで車道を下って交信を試みることにする。 後は2人に任せて トランシーバーを持って呼びかけながら歩くが、混信して聞きなれない人の声しか入らない。 およそ15分歩いたがあきらめて戻ることにする。 テントへ戻ると、既にザックは雪を払って中に入っていた。サンキュー。
まずは暖かい飲み物を飲んでから最後の交信に出かけることにして、きれいそうな雪を新しいビニール袋にいっぱい詰めてもらい、お湯を作る。 少しずつ溶かしてやっと4人分のお湯ができたのが18:00ちょっと前。 私と男性メンバーはミルク、後の2人はコーヒーを溶かす。 曖かくてお・い・し・い〜。 リーダーと大河原峠の見える所へ行き、最後の交信をするが返答無し。 あきらめて戻る。 風は無し。 明日になれば彼らも北横岳の稜線へ出るだろうから交信はできるだろう。 そこで待ち合わせの場所を打ち合わせる。 もしそれもできなかったらビラタスロープウェーの乗り場まで行って待つ・・・ということにしてテントへ戻る。
まず、リーダーが持ち上げたビールを4人で分け乾杯。 さあ、夕食。 女性メンバーに材料を渡して献立を教え作ってもらうことにして、私は総監督。 マッシュポテトを蒸らさなかったりしたが、山での食事は何とかなるもの。 しゃぶしゃぶ用の肉はたくさんありそうだったが、焼けば少しになってしまった。 白い御飯と五目御飯と漬物で夕食は終わり、後はスコッチウィスキーを4人であけてしまうまで、飲んで語ることにする。 ウィスキー1:お湯2くらいの割合でちびちび飲んだが、翌朝、食欲が無くなり、何を話したかきれいさっぱり忘れてしまうというおまけがついた。 リーダーは「町まで走ってお酒を買いに行く」などと言い、ずいぶんのお酒好きらしい。 それにしては言動も乱れず、まったくの「しらふ」に見える。
寝る前にトイレへ行くと、今までに見たこともないしっかりした立派なトイレ ができている。 力作! リーダーと私がテントの端、後の2人は真ん中という場所割り。 テントの外のろうそくの揺らぎを楽しむ余裕も無くすぐに寝入り込んだよう。 夜中、背中に雪の固まりがごつごつあたることと、息苦しくなって腹式呼吸でなだめたことはあったが、周りは皆、お行儀良く静かに眠っていた。
朝、ごそごそという音を聞いて時間を聞くと5:10。 ぱっと起きてシュラフをたたむ。 女性メンバーは起こすまで起きない。 食事の用意の前にトイレへ出かける。と、昨日はっきりわからなかった場所がやっとカンテラの明かりで分かった。 食欲はないので、ベーコンエッグの指示を出しているだけ。 お味噌汁と一口ばかりのご飯をおなかに入れる。 これがお酒のせいだとは思えないが、しかしその外に考えられることはない。 頭痛も吐き気もしないが、なんとなく「シンドイ」ので ある。
今日はあまり行動しないので、お茶は共同でリーダーの大きな魔法瓶に入っている。 テントを撤収し、さあ、出発と思った頃には登山者が続々で、女性メンバーはトイレへ行けなくなった。 女神茶屋に、荷物をデポして、8:00に出発。 一度車道へ出てすぐまた左に入っていく。 20分で「ヒュッテ・アルビレオ」まで行けると書いてあってピックリ。 何とハイキングにもならないほどの近さ。散歩と言った所。 稜線へ出た所で交信を試みるがやっぱりだめ。 彼らはまだ稜線に出ていないのかも。
ヒュッテまで本当にすぐ着いてしまった。 テラスに登って景色を眺めると、御岳、乗鞍、その横に北アルプス・穂高、槍の穂先が見える。 目を転じれば中央アルプス、南アルプス、そして八ヶ岳が見える。 9:00にあけておいた無線に、やっと縦走組リーダーの声が聞こえた。
「今どこですか」 と聞くと、「頂上の小屋のそば」だと。 私達の居場所を教え、昨日からの情報をやり取りして分かったことは、「トレースがなく将軍平でテントを張り、また登りかえしている」のだという。 「温泉で待っていたら」という声も聞こえたが、リ ーダーの「女神茶屋で待つ」という案になり、まだ1時間半くらいはかかりそうなので我々も散歩に出かけることにする。
真っ白で獣の足跡しかついていない雪面をラッセルして、遠くに見える2本の緑の木を右から回り込んでその先の方まで行くことになった。 リーダーがまず最初に出発したが、「女性メンバーにもラッセルさせてあげて」と頼んで交代する。 彼女がトップになるのは、これが始めて。 歩くごとに雪面がびしっといってひびが入り、「斜面だったら雪崩になる現象だ」と聞かされる。 途中で交代してトップになったが、上の方はさくさく、中途で固くなり堪えられるかと思うと、ずぼっとめり込み歩きにくい。 試しに獣の足跡の上をたどってみると、これが何と!沈まないから不思議。 彼らは利口なんだあ。 深い雪はやはり疲れる。 右足は持ち上がるが左は手で持ち上げなくてはならな い。 息切れがしてきたのでリーダーに代わる。 さすが〜。ざくざくと一気に楽々前進してしまう。
ここまで来ると展望もぐっとよくなり、常念・蝶ケ岳や後立山までも見えてし まう。 「ここでなら記念写真撮ってもらいたいな」と懇願して雪の上に座った状態で北アルプスをバックに撮影。 雪の状態を、調べるためにリーダーが手で掘り起こすと、なんと!きれいにはがれるように取れてしまった。つまりここが弱層というわけ。
帰りは楽々。あっという間にヒュッテに着。 お茶を飲んで休憩して10:00の 交信をすると、「もう鍋底にいる」とのことで我々も下山を始めれば、ちょうどパッ キングを終わった頃に合流できると計算して行動開始。 帰りは別の右側の道を下って行くことにする。 この景色も、もう見納め。 私はすいすいと滑りながら快適に下山。
女神茶屋のテラスで雨具のズボンを脱ぎ、一からパッキングをし直して終わった頃、3人の到着。 「おつかれさ〜ん」 労山旗を持って記念撮影の後、7人で昨日トレースをつけた道を下る。11:00〜11:10 1時間ほど歩いて休憩。11:55〜12:00。 暑くて、日焼け止めが手放せない。 たらたらとした下りなので、なかなかはかどらなくて時間が長く感じる。
「親湯」に着。12:55。行きには気づかなかった氷柱が見事。 バス停までスピード を落とすことなく歩いていく。 バスの時刻と電車の連絡の時刻を探し、温泉はやめて13:22発のバスに乗車することになった。 JR茅野駅に14:10着。 バスからなかなか降りてこないメンバーがいる。 列車の時間が無かったら 乗り遅れている所。 前もって小銭を用意したりしておかなくてはね。 14:29発まで、トイレも身だしなみも整えて余裕でホームへ。 縦走組の男性メンバーは、缶ビ ールを人数分確保しておいてくれた。ありがとう〜。
塩尻までの車内もバラバラだけれど座れ、塩尻で春のような日差しを浴びて40 分ほど待ち、中津川行きの普通に乗車。 まあまあの混み具合で座れた。 だんだんと空いてきたので、足を伸ばして座る。 土岐でリーダーが下車。彼はやっぱり握手をし、見送って手を振るという義理堅さ。 多治見に18:29着。 |