「高社周辺」を歩き回る      




根本砦跡で

●場 所 岐阜県多治見市
●標高 417m
●山行日 2008年12月7日(日)
●コース 高社山登山口横(P)・・・高社山頂・・・北小木・・・根本砦跡・・・高社山登山口横(P)
●参加者 北本、若尾潔、中島富、川井、西部、梶田、鈴木田、水野マ、荒木、早川、西尾、丹羽、長谷川、森下、katou 15名
●コースタイム
高社山登山口横
高社山反射板
高社山山頂
北小木
根本砦跡
根本城址登山口
高社山登山口横
9:30頃発
10:05〜10:15
10:20
12:20〜12:40頃
14:50〜15:05頃
15:10着
15:20頃着

地図はこちら

  *撮影:K.Niwa  コメントはM.MIzuno

                                                    


 9:30
高社山登山口左脇の
駐車スペースから歩き始める
左手に沢





その沢沿いに進み、
潅木を掻き分けるようにして
右手の急斜面にとりつく


この冬一番の冷え込みの中
厚着をして出発したため
汗ばんできたので調節したいが
 足場が悪くて休む場所も無い




 10:05
反射板到着 
ここから多治見市街地が一望

白い恵那山も目の前

その左には真っ白な中央アルプス

そして、もっと左には
これまた真っ白な御岳が見えた





反射板横で集合写真

ようやく陽射しを受け始めて
気持ちの良い山道となる
 10:20
高社山の三角点を過ぎ、
ここからは薄い踏み跡と
テープを頼りに急降下






こんな赤いビニールテープが
ところどころにある





倒木の朽木を乗り越えたり
潜ったり・・・

沢に降り立つ





崩れそうな急斜面をへつる
左は沢





跨ごうか・・・もぐろうか・・・
苔むした倒木を跨ぐとズボンが汚れる

今回の一番の難所!
左は足場の悪い岩、
滑り落ちると・・・
下は深さ1m?ほどの冷たい淵

リーダーにザイルを張ってもらい
サブリーダーに
手・足の置き場所を
教えてもらいながら、1人ずつ通過





前を歩く人が
手足をどこへ置いたかを
見ながら順番を待つ

つるっと滑り落ちそうな場面もあったが
セーフ!



 11:05
無事全員通過して
安全な場所に到着した記念の笑顔
 

でも、まだまだ
注意を要するところは続出・・・






崩れそうな斜面をへつったり、
何回となく沢を渡り返したり・・・

茶色の枯葉の世界に、
アオキの赤い実が目立つ

着地点が水がないことを確かめ
1m下の、1m先の砂地に飛び降りる





川幅も少し広くなり、歩きやすくなる

「もう少しで道にでます」・・・と
励ましの声

この堰堤を過ぎると
すぐ、北小木の田んぼに出る



 12:10
飛び出たところは
北小木の田んぼ
日当りの良い土手

背に暖かい日差しを受けて昼食タイム
  
日陰に目をやると
この時間でも霜が融けずに白いまま





まだまだ、行程は半分残っている

農道をまっすぐ進み
左にあるコンクリートの橋を渡る

橋の上の水溜りは凍っていた!






午前中降りてきた沢の
一山、西にある沢に入るが
沢の入口付近は
比較的楽に歩けた






一面に、白いホオの木の葉が
敷き詰められた上を進む

一抱えもあるような
白いつるつるした
大木ばかりで
落葉した葉の量の凄いこと!

沢を外れないように
先頭は鉈を持って道を作っていく

最後を歩くのは
申し訳ないくらいの歩きやすさ




13:20
藪こぎの後
やっと明るい稜線に出た

稜線の広いところで
現在位置の確認






高社山の西斜面は
砕石場として大きく削られていて
立ち入り禁止となっている

採石場を覗き込んでから
少し手前で左折






暫くは、作業道のような
広い道をたどる

なんて楽々の道・・・と思ったのは
ほんの少しだけ







ピークの手前からまた藪こぎになり
またまた、午前中歩いた沢まで
道の無いところを急下降






フユイチゴの実




 14:10
この赤い目印のテープが
午前中に通った沢と
尾根への道との分岐点で
ここから高社山に向かって
急斜面を登る





やれやれ・・・
やっと歩きやすい稜線の道に出た





境界らしき盛り上がった道
左手は多治見北カントリー






大きなペンキ印が出てくると
道幅も広く、よく踏まれた道になった





コンクリートの境界印?




14:55
根本砦跡(1600年代)
旗揚げの松の木には大きな吹流しが




 15:10
無事下山

下山口には、
根本砦跡の解説版が建っていた

『標高285mの通称「城山」にある。
山城の典型的な堀切・竪堀などが
はっきり残されている。
戦国時代の後半、若尾氏が
詰めの城としてここに築いた。
若尾氏はもともとは甲州若尾村
(今の韮崎市)出身で
武田氏の一族であったといわれる。』
・・・など、詳しく根本砦跡周辺の
地形図と共に説明してあった。





車道を、駐車場まで一列で歩く




                                                          
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