蓼科山 バリバリのガリガリ |
蓼科山 信玄棒道の標識 |
●場 所 | 長野県茅野市 |
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●標高 | 蓼科山:2283m地点まで 山頂:2530.7m |
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●山行日 | 2019年3月29日(金)前夜泊 |
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●多治見から 登山口まで |
JR多治見駅ーJR塩尻駅ーJR茅野駅=ペンション(泊)=女之神茶屋(蓼科山登山口) ※ ー鉄道 =自動車 ・・・徒歩 ⇒バス |
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●参加者 | 丹羽 |
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●コースタイム | 女之神茶屋(登山口) 「蓼科山南西」2110m 幸徳平 引き返し 幸徳平 「蓼科山南西」2110m 女之神茶屋(登山口) 「蓼科山南西」1650m 竜源橋分岐 蓼科湖分岐 親湯・蓼科湖分岐 親湯 親湯バス停 |
8:35発 11:15 11:40 12:23 12:45 13:09 14:30〜14:55 15:21 15:33 15:54 16:22 16:37 16:50着 |
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周辺地図はこちら コース図 (女之神茶屋⇔蓼科山) (女之神茶屋⇒親湯バス停 |
蓼科山登山口駐車場 簡易トイレの立派なボックスができていた 身支度をして出発 8:35 |
車道を歩いてすぐ、登山口 バス停はあるが、「運休中」の張り紙 |
左折するとすぐ、雪が出てきた ガリガリの雪と、笹原の道を進む |
緑っぽい色の長〜いサルオガセが垂れ下がっていた |
木の間越に見える山は・・・ 北横岳 |
岩混じりの登りになった 8:58 |
登りの途中から振り返ると・・・ もうこんなに登ってきた! 広い雪面は、登山口周辺の平らな場所 |
まだまだノーアイゼンで登れる・・・と思いながら 凍った斜面に足を乗せたとたん、みごとにつるっと滑った いたた・・・膝を打った チェーンアイゼンでは足りないガリガリの表面 10本爪アイゼンを付けた これで安心して足が出せる 右手に北横岳を見ながら登る |
登りがいったん終わると、なだらかになる 地図上の1878m付近 |
周りは茶色のカラマツ林 |
1950mあたりから急登が始まる 後ろから追い抜いた若者パーティーは ピッケル使用 |
岩と凍った雪地帯 |
もう下山してくるパーティーがいた 朝、7時に登山口を出発したとか |
後ろを振り返ると、こんな急だった? ・・・と思うほど 登山道が皆、雪と氷に覆われているならいいのだが 岩の頭にアイゼンを乗せなければならない場所もある これが、不安定でイヤ! 後方に見える山は車山かな? |
「2110m」標識 11:15 蓼科山のこのコースには「○合目」という標識はない 地図を見ると、2113.7mに三角点があるので、たぶんこの辺り・・・と見当をつける 暖かい飲み物を飲んで休憩 |
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緩い登りになった 雪はいっぱいでも、 雪面は硬いのでストックは刺さらない |
蓼科山山頂が見えた ここからいったん下った後に登りが待っている |
「幸徳平」標識 11:40 |
後ろを振り返る ずいぶん登ってきた 展望はだんだん悪くなってくる |
ダケカンバの間を登る |
後ろから、ガンガン登ってくる若者に追い越された 彼は、アイゼンを付けない変わった靴を履いていた でも、すごいスピード 12:21 ジオグラフィカで現在地の標高を確かめると2283m 山頂は2530.7m まだ、250mもある これから女之神茶屋まで降りて そこからまだ親湯のバス停まで歩かなければならない 最終バスは17:00 下りは、登りと同じくらい用心しないと アイゼンの前爪をひっかけて転倒しやすい よし、ここから下山しよう!・・・と決心 |
車山を見下ろしながら、1歩1歩下る |
「幸徳平」標識 12:45 慎重に下っているが、やはり登りよりは速くなる |
「2110m」標識 13:09 |
岩ごつごつの急斜面を ため息をつきながら、 足もとに神経を張り詰めて、ゆっくり下る |
こんなに急だったっけ? と、感心しながら下る 途中、雪の状態を見ながら、10本爪アイゼンをチェーンアイゼンに替えた これで、岩の頭に足を乗せても安心できる |
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このカラマツ林まで来れば いつも、あと一息・・・と思う 14:01 |
笹道が出てくれば、登山口は近い 14:18 |
女之神茶屋の建物が見えてきた 14:27 親湯へ下る標識を確認してから、ここの軒先をお借りしてランチ休憩 |
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親湯へ下る標識と「信玄棒道」は同じ方向の矢印 踏み跡は?? 今日じゃない足跡が1人分のみ |
歩くにつれ、獣の足跡がどんどん増えてきた 人の足跡は、踏み荒らされて定かではなくなった ・・・・・・・・・・・・・ 1997/2/8にこの道を登ってきた記憶と ジオグラフィカと、紙の地理院地図を頼りに どんどん歩く ・・・・・・・ 雪が無くなったころ、チェーンアイゼンを外した |
変わった標識「普通母樹林」が立っていた 15:18 ↓ 何のことだろうと調べたら *『種子や挿穂 (さしほ) 、接穂 (つぎほ) をとるために 設定したひとまとまりの森林のこと』だって |
谷の向こう、右側の斜面には雪が残っていたが こちらの斜面は雪無し |
「蓼科温泉」標識を見て一安心 15:21 |
分岐の標識 15:33 「蓼科山登山口」と 「竜源橋:大河原峠」の文字は分かったが もう一つの行き先の文字が薄れて判読不明 しかし、紙の地図を見ると その分からない文字の方面が親湯になるので右折 |
広い林道のような道になった くねくねした道を歩いていると 左手に真っ白な山が見えた 何だろう?「阿弥陀?」「赤岳?」 |
真新しい標識が出てきた 15:52 「蓼科山登山口」は分かるが なぜここで「蓼科湖」? 道は3本 標識にはその3本目の行き先が書いてない あとで思ったが、この標識不親切 「蓼科湖」なんてずっとずっと遠い地点 「親湯」と書くべきでは? |
どこへ行くか分からない3本目の道の ずっと遠くに「蓼科歩高楼」の立て札 何と読むのだろうかと思ったら、ローマ字で 「TATESINA ARUKORO」と書いてあった 「一般社団法人 木谷ウォーキング研究所」だって ↓ 何のことだろうと調べたら *『(社)日本ウオ−キング協会では 歩く仲間の拠点になるように 歩こうとアルコ−ルをかけた宿泊施設名の 歩高楼を設置又は指定しております』だって |
その3本目の道を偵察がてら少し進んだら、 左手に下へ降りていく道が見えた あの道しかない!と思い、笹原を突っ切って合流 ジオグラフィカも「OK」と言っている |
林道のような道を歩いて行く途中、後ろを振り返った 蓼科山が見えた! 右 山頂付近を拡大してみたら、1本まっすぐに伸びている白い道が見えた あれが、登山道だ! 結局どこまで登ったんだろう・・・?と考えた まだ樹林帯だったから、白くごつごつした岩礫地帯よりは下 横筋が3本見えるが、1本目だろうか?2本目だろうか??? |
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やっと、「親湯」の文字が現れた 16:22 左折したが、直進の道もあった(行き先不明) |
薄れた文字で「大滝・プール平」と 「佐千夫歌詞・信濃路自然歩道」の文字 勿論直進 |
「親湯」の建物が見えた所で左折 |
「滝ノ湯川」に架かる橋を渡って・・・ |
親湯を右に見ながら舗装路へ |
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「武田信玄の隠し湯跡地」の看板を見ながら歩いて行く 左 これが「隠し湯」の跡? |
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あれ?「棒道」の標識が右上を指している *棒道とは『川中島決戦に備えて作った直線的軍用道路で、実践的に最も活用された。』だって あれ?「信玄棒道」を歩いていたつもりだったけれど、どこで見失ってしまったんだろう?? ・・・・・・・・・・・・・・・・・ 地理院地図に真っ直ぐの道が書いてあったが、 「山と高原地図」をみると、「信濃自然遊歩道」と書いてあった 「直線的」なら、こちらの方がふさわしいのに・・・ |
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親湯バス停に着いた(茅野駅行は、右側の奥) 16:48 17:00発のバスに間に合ういい時間だった (・・・と思って、時刻表を見ると17:14 始発の北八ヶ岳ロープウェイ駅発と間違えていた そそっかしいこと!) |
バス停へ歩いて行く途中、 右手の広場にシカがたくさんいるのに気づいた まるで奈良公園みたい! 慌ててシャッターを押したが、写ったのは2頭きり・・・ あっという間に走り去ってしまった ・・・・・ 予定通り来たバスに乗車 暖かいバス席に座って茅野駅へ |
*公共機関を使って蓼科山へ登るには、日帰りは無理。 茅野駅付近のホテルに泊まって、始発の「北横岳ロープウエイ行き」バスに乗り、「親湯バス停」で下車する つもりだった。 電車の中で会った女性と話していると、「女之神茶屋登山口まで送ってくれるペンションがある」と分かった。 茅野駅までのお迎えもあり、バス代と同じくらい・宿泊料金も山小屋と大差ないとも聞いた。 そのペンションに泊まることにして、翌朝の出発を早くすることにした。 *ペンションのオーナーから「親湯から女之神茶屋までは、あまり人が入っていないし、登山道のテープと 紛らわしいテープがあるので気を付けるように」とアドバイスを受けた。 20年も前に、「親湯バス停」から歩いた記憶がある。今は、ジオグラフィカという強い味方もあるので 大丈夫!と考えた。 20年間のうちに登山者の車利用が増えたせいか、「女之神茶屋」からの登山道はかなり荒れていた。 *また地元の人は、女神茶屋(めがみぢゃや)とは言わないで、女之神茶屋(めのかみちゃや)と言う・・・ とも聞いた。 山と高原地図にもそう書いてあるので、ずっと今まで、女神茶屋(めがみぢゃや)と呼んでいた。 *遠くから見た蓼科山は白い筋がまばらにあるだけだったが、歩き始めると登山道には硬い雪がしっかり 残っていた。 *驚いたのは、ノーアイゼンや長靴で登る人がいたこと。 それでも追い抜かされてしまったし、引き返しの途中、また追い越されてしまった・・・!! *【積雪期の蓼科山登山の記録】 1997/2/7〜2/9 冬山合宿のピークハント組だったが、登頂できず。 1998/2/14〜2/15 ピラタスロープウェーで山頂駅へ→北横岳→双子池経由で蓼科山縦走の 予定だったが、 雪が多くて引き返し、北横岳ヒュッテ横でテント泊。 2004/2/7 女神茶屋から山頂往復の予定だったが、雪が深くて登頂できず。 2009/2/22 シラカバ高原スキー場のゴンドラを利用して蓼科山往復。 2011/2/26 女神茶屋から山頂往復。 |