残念! 暑さと砂埃と下痢のため、途中下山
       
  バルトロ氷河と、K2展望トレッキングを諦めた・・・


 1日目 7/26 出国・イスラマバードへ  2日目 7/27 スカルドゥへ
 3日目 7/28 デオサイ高原へ  4日目7/29 アスコーレへ
  5日目 7/30 ジョラへ  6日目 7/31 スカム・ツォクへ 
 7日目 8/1 パイユへ  8日目 8/2 下山 アスコーレへ (コボルツェへ)
 9日目 8/3 スカルドゥへ (ウルドゥカスへ) 
10日目 8/4 イスラマバードへ 
(ゴレⅡへ) 
11日目 8/5 帰国 
(コンコルディアへ) 
 全行程

  * 青字は、トレッキングの予定だった日程

 12日目 8/6 コンコルディア滞在  13日目 8/7 コンコルディア滞在  14日目 8/8 ゴレⅠへ
 15日目 8/9 コボルツェへ  16日目 8/10 パイユへ  17日目 8/11 ジョラへ
 18日目 8/12 アスコーレへ  19日目 8/13 スカルドゥへ  20日目 8/14 イスラマバードへ
 21日目 8/15 イスラマバード滞在  22日目 8/16 夕食後北京空港へ  23日目 8/17 北京空港≠帰国


 7日目 8月1日(木)
    
  【スカム・ツォク・・・パイユへ トレッキング3日目
                 ※ー鉄道 =自動車 ・・・徒歩 ⇒バス ≠飛行機  ⇔その他


ここをクリックすると大きく見えます
 5:17 朝焼けの山

馬はもう出発の準備 
 ヤギ3頭
夜には2頭になった
(喧嘩っ早いヤギが最初にいなくなった
・・・と聞いた)

5:50 朝食
食欲少々

 6:31 横浜の男性が乗る馬の準備ができた 6:31
左 個人ポーター 下山する男性 馬子


ここをクリックすると大きく見えます
出発前にトレッカー全員と
ガイドのアミンさん(右端)
アシスタントガイドのラシットさん(左端)
それに個人ポーターを入れて記念写真
まさかこんな展開になるとは
思ってもいなかった・・・

今日中に、アスコーレまで下るとか

村上さん曰く:
「馬は下山用・登りには使いません」とのこと
昨日、一昨日と馬を使って様子を見たが
これ以上は歩いて登ることは無理
・・・という判断かららしい

マナスルでは、「ゆっくり組」として
4人で後から歩いていったのに・・・

馬の鞍は木製で痛そうに思えた


ここをクリックすると大きく見えます
段々馬が遠ざかっていく 6:39

先へ進む私たちも出発 6:43
まさか、私自身が、これと同じ場面を
明日迎えるとは知る由もなかった・・・

7:18 昨日は朝のうち日陰の谷を歩いたが
今日は朝からジリジリ照らされた


ここをクリックすると大きく見えます
左 休憩 7:40
右 川の対岸の山並み
家から持ってきた整腸剤では効き目が無いようなので
「よく効く」と言われている「アミンさんの薬」を貰った

兵庫県の男性が、「”ゲーリー・ブラザーズ”を結成しようか」
・・・と言っているのを聞き、「シスターズも入れて」と言った
まだ冗談の言える元気があった頃のこと

8:07
小沢を何度も渡る

左手の崖は、川の流れが削ったような跡
延々と続いていた 8:11
 8:12
どこまで行っても、土と岩ゴロゴロの光景
この頃はまだ、列を離れて写真を撮ってまた列にもどる元気があったが、
暑さと砂ぼこりと下痢のため、だんだん屠殺場に向かう羊のように、
下を向いて前の人の足跡を辿るだけになってしまった

 
 

ここをクリックすると大きく見えます

ここをクリックすると大きく見えます

ここをクリックすると大きく見えます
石ゴロゴロの広い場所でやっと休憩 8:52 1時間以上も歩いた
今までは、村上さんが「アミンさん、休憩しましょう」と声がかかってから、
アミンさんが足を止めて休憩タイムになる・・・というパターンだったが
その村上さんの姿が見えない
「アミンさ~ん、村上さんがいないよ~」と言っても、
足を止めずにどんどん進んでいく
こんな暑い日なんだから、早め早めに給水タイムを取ってほしかった

お腹はますますよくない 下痢がひどくなった
食べれば下痢 食べないと力が出ない
力が出ないとふらふらして下ばかり向いて歩く
歩きながら写真を撮る余裕もなくなった
トイレの場所探しも大変
常時、お腹のことを考えている状態に陥った

休憩後出発 9:02

10:11 もうすぐパイユ・・・の手前で休憩


ここをクリックすると大きく見えます
花の写真を1枚撮るだけの元気は残っていた

暑くて暑くて、しんどくて
座って休んでいると、めまいがしてきた
周囲の景色から色がなくなって
白の世界になってしまった・・・
胸が苦しい・・・吐き気もする・・・

 そのことを村上さんに言うと、「先に歩きましょう」と言って
先導してくださった
私のハイキングクラブでもよく使う手
疲労困憊したり、バテている人は周囲を見る余裕がないので
すぐ前を、その人の歩調に合わせて歩いて、
私の足のかかとを見ながら付いてきてもらう方法

テントが見えた 10:35 約4時間の行動時間
テントは、日向に張ってあったので、暑くて中で横になることはできない

トイレは扉があったりなかったり・・・
便座があったりなかったり・・・

ホースから流れ出る水があるだけ、嬉しい
タオルマフラーも、バンダナも濡らして頭や首を冷やした

ランチは、殆ど口に入らなくて、座って見ているだけ
そんな時でも、モリモリ食欲のある人がいて羨ましかった

今日は、4時間でこの体たらく
明日は今日の2倍以上の歩行時間になっている
暑さと埃と下痢のトリプルパンチで、
もうこれ以上トレッキングを続ける気力がなくなった・・・
私を元気にさせる花も無いことも、気力の失せた原因の一つ

ランチが終わる頃、村上さんに「お話があります」と言って
「明日、馬を使って下山したい」と申し出た
もうこんな暑さと埃の中を歩きたくない!と思い、
心は日本に向かってしまった


ここをクリックすると大きく見えます

ここをクリックすると大きく見えます
 
ここをクリックすると大きく見えます
 
ここをクリックすると大きく見えます
 テント場からの展望
もうこの景色を見ることはないと思い、あちこちの山の写真を撮った

   
テントの中は、暑過ぎる
木陰を探して休みたいと思っていたら、
ダイニングテントの横で、椅子に座っている男性を見つけた
あそこなら涼しそう~と思い、椅子を持ち出して隣に座った
キッチンテントの横では、アシスタントコックのサルマンカーンさんが
せっせと野菜の選別をしていた

 
ここをクリックすると大きく見えます
 ポプラの木が木陰を作り、風も吹いてきて涼しく心地よかった

涼しい木陰で休んでいるうちにだんだん気持ちが楽になってきたが、
またあの灼熱地獄の中を歩く気にはならず、
3時半からのお茶の時間に皆に「明日、下山します」と伝えた
湿布やスポーツ飲料や携帯カイロを貰ってくれる人はいませんか・・・と
机の上に並べたが、携帯カイロだけは貰い手が無かった・・・
(村上さんが重いでしょう・・・と言って引き取ってくださった)
トイレロールの希望者には差し上げた
下痢の時は、何倍も紙を使うから減りが早い

お茶の後で、村上さんと明日のことについて色々聞いた
・3日分の距離を馬で1日で歩く
・9時間~10時間かかるだろう
・キャンプ地が3日分なので馬代は300ドル
・ポーターは2人なので300ドル
・合わせて600ドル
私の手持ちでは足りないので100ドル西遊から借りることにした
600ドル(=約6万円ちょっと)払っても、
早く日本に帰りたかった

航空チケットやホテル代などは、日本に帰ってから請求してもらうことになった
・・・・・・・・・・・
トイレが汚れていても、シャワーが無くても、
歯磨きがきちんとできなくても、毎日同じ服を着ていても平気だったのに・・・
ネパールでもインドでもアフリカでも、楽しくトレッキングしてきたのに・・・
私ってこんなに「ヤワ」になってしまったのかと、自分自身を意外に思った

 
ここをクリックすると大きく見えます
 
 左 テント場の裏山
右 白い物はトイレ(和式) 洋式は入口の方 水場の下

水場は上と下の2ヶ所あるが、
下の水場では、ヤギの解体をしていた
慌てて引き返した(夕食にヤギカレーとなってテーブルに出された)

 トイレからの帰りに見つけた実

 
 川の対岸の山

ここをクリックすると大きく見えます
 
 私のテントと、対岸の山 17:17

 
 18:04
夕焼けに染まり始めた山々

   
   
 トイレからの帰りに見つけたハンショウヅルの仲間:キンポウゲ科

   
 陽が傾くと涼しくなる 18:13

 18:26
夕食前に、「健康手帳」が配られ
明日から、パルスオキシメーターを
測るようにと言われた

私は明日下山なのでお呼びじゃない・・・

  
 18:48 山が金色に輝いた!
もうこれが見納め・・・

  
 夕食 ヤギカレーは食べれなかった
他もちょっぴりだけ

ネパールトレッキングの際に、「食べれるうちは大丈夫」と聞いていた
食べれないと体力も気力も落ちるのだろう・・・と思った

 次のページへ

 トップページへ戻る