巨大な建造物とその技術に声なし・・・
   エジプト歴史の旅(大神殿とピラミッドと・・・)
  (ルクソール・エドフ・コムオンボ・アスワン・ギザ・カイロ・アレキサンドリア)


 

1・2日目 11月10・11日 
ルクソールへ
3日目 11月12日  4日目 11月13日 
5日目 11月14日
 
6日目 11月15日  7日目 11月16日 
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4日目 11月13日(金)                  

 アスワンのホテル:ピラミサ・イシス・アイランド

ホテル8階の部屋の窓から見下ろした景色

ナイル川の岸辺に建っているので緑がいっぱい

遠くに見える茶色の丘は砂漠




ホテルの庭に咲いていた花-1

このホテルだけは、隔離されている島のせいか
自由に散歩してもOKだった

ルクソールもカイロも、散歩なんてとんでもない
・・・といった雰囲気




ホテルの庭に咲いていた花-2 ホテルの庭に咲いていた花-3




ホテルの庭に咲いていた花-4

白いブーゲンビリアとナイル川に浮かんだ船

これらの船で対岸に渡る





 アブシンベル神殿

アスワン空港9:30発の飛行機が
遅れる理由のアナウンスもなく、
待合室でずっ〜と待っていた

10:20頃、やっと行動開始となり
約45分で、アブシンベル空港に着

バスに乗り換えてアブシンベルに到着
炎天下、日陰もないところを歩く

入り口がひとつだけ??
・・・と、思ったらこれは裏側




ぐるっと回り込むと、もうおなじみになってしまった
巨大なファラオの像が見えてきた

アスワン・ハイダムができたとき、水没から免れるため
ユネスコは、「遺跡救済キャンペーン」を世界に呼びかけ、
(うっすら記憶にあるが、まさか本当にその現場に
来れるとは思ってもいなかった)
1964年〜1968年にかけて
大神殿は807個のブロックに切り分け
大きなクレーンやトラックによって運び上げられ
65m高い位置に移され再建された

(小神殿は、235個のブロックに切断され
67m高い位置に再建された)




アブシンベル大神殿の正面
4像ともラムセス2世

左から2番目の像の上半身がなくなっているが
紀元前1248年ごろの大地震によって崩れ落ちたらしい
足元に転がっているのがそれ




ラムセス2世の足の間の小さな像は
ラムセス2世の子供たち

ラムセス2世の横にある像は
彼が特に寵愛したといわれるネフェルタリ王妃の像

ラムセス2世との大きさの格差がすごい!




ラムセス2世の像の大きさ(20m)と比べようと
足元に立ってもらった
ラムセス2世の顔のアップ

実に端正な顔立ちである
計算しつくされたような目鼻のバランス!




ちょうど神殿入り口の真上
ラムセス2世2対と2対の間に
ハヤブサの頭をした太陽神ラー・ホルアクティの像がある




ラムセス2世の像の足の下の台に
描かれているレリーフ




同じく像の足の下の台のレリーフ

捕虜たちの首をパピルスで縛っている図




こちらは、アブシンベル小神殿の正面
高さ10mのラムセス2世と王妃ネフェルタリの立像が
並んでいる




あごひげを付けているのがラムセス2世

頭の上に2枚の羽がついているのは、ネフェルタリ王妃




2枚の羽がついているので、ネフェルタリ王妃

足元には、ラムセス2世と王妃ネフェルタリの子供たち




奥に見えるのがアブシンベル大神殿

手前が小神殿

ぐるっと半時計回りに歩いた




* 神殿の中へは、カメラの持ち込み禁止なので、画像はなし。

* 神殿の入り口を入ると、大列柱室になっていて、柱にはオシリス神の姿をしたラムセス2世が向かい合って立っていた。

* また、大列柱室の壁・角柱・倉庫の壁にもびっしり壁画が描かれ、物語的にあらわされていた。

* 年に2回、春分と秋分の日のみ、神殿の入り口から最奥の至聖所へと朝日が差し込み、4人の坐像のうち
  2人の神様とラムセス2世に日が当たるように設計されている(1人の神様は冥界の神なので日が当たらないように
  なっているそうである)
  なんともすごい計算力である。

* 今から3000年以上前に、こんな大きな神殿を作ったばかりか、入り口から47mも離れている至聖所へ
   朝日が差し込むように設計し、しかも日の当たる像を選んだ上での設計である。

* 移築する際、もちろん方角などコンピューターで計算されたのだろうが、もともとの所にあった神殿より
  ほんの少し角度が違っていたらしく、日の当たり方が違ったそうである。



   *以下4枚の写真は『エジプト旅行情報 Osiris Express』からお借りしました。

   ・・・・掲載している写真はフリー素材としてWeb掲載に限って自由にお使いいただいて結構です・・・・
   とあったので、ありがたくお借りした。


ナセル湖とアブシンベル大小神殿

現在の位置から65m(大神殿)67m(小神殿)
低い所にあったわけ

移転される前の写真を見ると
神殿のすぐそばまでナイル川の水がきていた




正面の入り口を入ると大列柱室になる
8本の柱の前面には、
両手を交差させたオシリス神の姿をした
ラムセス2世が向かい合っている

そのあいだをまっすぐ進むと最奥に至誠所がある
そのラムセス2世を正面からみたところ




至誠所は、幅4m奥行7mのこじんまりした所で
奥の壁には、4人の神々の坐像が彫られている

一番左、頭が壊れているのはプタハ神
その右隣は、アメン・ラー神
その隣は、神格化されたラムセス2世
右端は、太陽神ラー・ホルアクティ
(あれれ?ハヤブサの頭を持って太陽を掲げているのは
アメン・ラー神ではなかったっけ??)

神殿の入り口から47m離れている至誠所へ
こんな感じで朝日が差し込むのは
年2回:春分の日と秋分の日の
前後約1ヶ月間の数分間のみ・・・と
現地で購入した『アブ・シンベル』という本に書いてあった

春分の日と秋分の日だけではないんだ・・・!!




アブ・シンベル神殿移築作業の様子

現地で購入した『アブ・シンベル神殿』の本より


ここをクリックすると大きく見えます

ここをクリックすると大きく見えます
上段の左   頭部の切断

上段の右   移送の作業

下段の左   切断の作業

下段の右   足の切断




上段     頭部の接合

下段の左   大神殿のドーム
(高さ25m 前兆60m 10万トンの重さを支える)

下段の右   本来の位置と移築さえれた場所

また、神殿の正面の壁は、
最大30トンのブロックに切断され
神殿の内部は、最大20トンのブロックに切断されたという

このブロックに切断してそれらを再建するという案は
スウェーデンの案だというが
考案した人も、実現可と考えた人も
実際に作業に携わった人も
こんなにぴったり元通りになると予想していたのだろうか

人間ってすご〜〜い!!!!




移築作業は、1964年〜1968年にかけて
大神殿は807個のブロックに切り分け
大きなクレーンやトラックによって運び上げられ、
65m高い位置に移され再建されたという

(小神殿は、235個のブロックに切断され
67m高い位置に再建されたという)





 空路カイロへ

13:15発のエジプト航空でカイロへ

入り口の右側にデザインされているのが
ハヤブサの顔(ホルス神)




ホテル(ラムセスヒルトン)から見下ろしたカイロの夜景

 アブシンベルに咲いていた花



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