巨大な建造物とその技術に声なし・・・ |
エジプト歴史の旅(大神殿とピラミッドと・・・) |
(ルクソール・エドフ・コムオンボ・アスワン・ギザ・カイロ・アレキサンドリア) |
1・2日目 11月10・11日 ルクソールへ |
3日目 11月12日 | 4日目 11月13日 |
5日目 11月14日 |
6日目 11月15日 | 7日目 11月16日 |
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7日目 11月16日(月) |
オールドカイロへ |
考古学博物館が開館する前に オールドカイロという界隈へ出かけた 道の両側に古い本などがずらっと並べられている通路 |
キリスト教の一派であるコプト教会へ カメラは禁止なので写真はなし |
考古学博物館へ |
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考古学博物館の正面入り口 約3時間のい見学時間だったが、 これだけでは駆け足見学にすぎない |
入り口の左右にある像 |
入り口のちょうど真上にある像 |
中庭にあったパピルス 生えているのは初めて見た (パピルスは、下エジプトの象徴) その周りは、蓮(ロータス)が咲いていた (ロータスは上エジプトの象徴) |
* 考古学博物館内部へは、カメラは禁止なので写真はなし。 * 2階建てだが、約20万点といわれる古代エジプトの遺物が展示されている。 * 見上げるように大きな像から、小さな装身具まで、ずらりと並んでいる。 * アシスタントの男性に、先着順で借りれるイアホーンを借りてもらっていたので、ヘバさんも大きな声を 張り上げなくていいし、周りに大勢いる観光客の騒音に邪魔されることなく説明が聞けた。 * 前半は皆と一緒にヘバさんの説明を聞きながら周ったが、後半はフリータイム。 ぐるぐると1人で時間いっぱい歩いたが、解説なしの見学は見るだけで終わってしまい、理解することができなく 物足りなかった。 ● 強く印象に残った展示品 その1 やっぱりツタンカーメン王の墓から発見された副葬品の美しさとまばゆさと数の多さ。 特に、黄金のマスクは「これが全部金?」と、ついヘバさんに聞いたほどの鮮やかさ・・・ ツタンカーメン王のミイラは、四重の厨子(大きい厨子の中にひとまわり小さい厨子、その中にまた ひとまわり小さい厨子・・・というように四重になっている)の中の、箱型の石棺の中(その中には ひとまわり小さい人型棺、その中にまたひとまわり小さい人型棺・・・というようになっている第3の棺の中に この黄金のマスクを付けて横たわっていたという。 それらの厨子が大きい順に、また棺も大きい順にずらっと並べられていた。 日本でいう『入れ子』のように、ロシア風に言うなら『マトリョーシカ』のようになっていたわけである。 (大きい方から、第1人型棺・第2人型棺・第3人型棺と呼ばれ、それぞれの人型棺の装飾はツタンカーメン王の 姿が金貼りで装飾されている。 そのほかの副葬品も、金・金・金・・・と豪華絢爛。 * 18歳で若くして亡くなったといわれているツタンカーメン王でさえこのような豪華絢爛な副葬品であるなら もっと偉大なクフ王や、ラムセス2世はどんなだったろうか・・・・と思いを馳せる。 ● 強く印象に残った展示品 その2 ミイラ室・・・本物のミイラがずらり並んで横たわっていた。 貴重なものだろうが、『見なければよかった』・・・の想いのほうが強く、早々に出てしまった。 ● 印象に残った展示品 その1 棺は、はじめ直方体のような形だったが、だんだん人型棺になっていった。 ヘバさんの説明では、『魂があの世から自分の体を見つけるのに分かりやすいからで、 その人の顔に似通った棺になっている』・・・と ● 印象に残った展示品 その2 日常に使われる展示品もあって、当時の生活をうかがうことができる。 例えば、スプーン・はかり・ブーメラン・矢・槍・サイコロ・手鏡・皿・櫛・アイライナーなどの化粧品・ 笛・太鼓・ハープ・カスタネット・農具・釣り針・ほうき・魚網・ハンマー・綱・ねじ・はさみ・ 折りたたみの日傘・サンダル・手袋・下着・・・など ● 印象に残った展示品 その3 折りたたみのベッドや折りたたみの椅子・花束(花の形が残っていた!) ● 印象に残った展示品 その4 あの世で、仕事をさせる人が必要になる・・・と、人の形をした大・小の像が、なんと413体もずらっと展示してあった。 |
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ショッピングセンターへ |
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カメラを持って入れなかった、 王家の谷や考古学博物館などの資料を手に入れようと 期待していったが、まったくなしで当てが外れた |
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帰国 |
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18:00発のエジプト航空で帰国の途へ 翌17日、関西空港に到着 バスで名古屋へ、JRで多治見へと順調に帰った |