日本勤労者山岳連盟30周年記念
   天山山脈トレッキング・ハイキング
       (Eコース  天山ハイキングとイシククリ湖)
 
     (ハバロフスク〜アルマアタ〜カルカラキャンプ〜アルマアタ〜ハバロフスク)


5日目  8月14日

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悪天候でヘリが帰ってこない・・・

7:05、起床。体温・脈搏異常なし。

8:30〜ミーティング。
『・Dコースは、ヘリで3400mのメルツバッハへ。
・Bコースは、そのヘリでキャンプへ帰ってくる。
Eコースは、ヘリでイシククリ湖へ
→そこで遊んでからヘリでチンブラクへ移動。

・ロシア人インストラクターがつく(ガイド役)
通訳はBコースと行動をともにしているサーシャだが、
彼はBコースが戻ってきていないので今は当然いない
・荷物を全部持って11:00発の予定。
しかし、天候次第でなんとも言えない。』・・・・とのこと。

とに角、荷物を持っていつでも移動できる体勢を整えてから、朝食。

  
   イシククリ湖へ出かける用意をしてヘリを待つ

山は雪が降っている・・・

相変わらず朝は風が強いし、寒い。
雨がぱらぱら降ってくる。東の山を見ると雪が積もっている!。
こんな悪天候ではヘリは飛ばないかも。

11:00過ぎても変化なし。
1日中ここで待機かも?とも考えられる・・・。

結局、Dコースは待機。Eコースは出発となった。
なぜなら、Dコースはあの雪雲のかかっている峠を越すから危険、
Eコースは下へ降りるから安全だとの判断から。

残留組に見送られる

Dコースの28人とその他の人に見送られヘリに乗る。

定員20人というが周りに座席があり
後ろへ荷物をまとめておいたので真ん中は広々としている。

11:50発。

インストラクターはビクトル氏。
その息子のアンドレイ(4〜5歳)とシェルゲイ(15歳)も一緒。

  
   ヘリの中 インストラクターのビクトル氏とその息子2人も一緒

ヘリからの下界の様子は・・・

耳を近づけないと聞こえないくらいのうるさいエンジン音を除けば、
景色は広々として鳥になった気分
で上々。

広々とした畑で
刈り取りが終わったあとの幾何学模様が面白い。

労働者住宅らしい同じような形の家が並んでいるところ、
懐かしい車の走っている道路などがきれいに見える。

        
     ヘリからの眺め                   イシククリ湖へ もうすぐ着陸

イシククリ湖岸で・・・

11:25、湖岸に着陸。人と荷物を下ろしてすぐに飛び去った。
ヘリが巻き起こす風で髪は逆立ち、
立っておられずにしゃがんでしまうほど。

ものすごいエンジン音もなくなりやっと人心地がついた
ここにも羊や牛の糞。場所を選んでマットを敷く。

  
   イシククリ湖 透明度は高いが魚影は見ず

泳ぐにはちょっとね〜

寒かったカルカラキャンプとはうって変わってここは陽光の中
泳げる・・・と聞いていたので水着は持ってきている。
水は澄んで底がバッチリ見えるが、藻が生えているし、
男性陣しか水着に着替えないので我々も泳ぐのはやめた。

この広い湖岸をずっと見渡すと、右手にちらほら人の影。
左手に農家風の家と働いている3〜4人と子供たち4〜5人の姿のみ。

  
   ピラカンサに似ている

それぞれの楽しみ方

京都組は現地の子供をつかまえて日本語教育。
そして彼らについて農家風の家の方へ行くことになり
子供たちに囲まれて会話集を片手に国際親善へ。

東京と北海道組は保養所のほうへ散歩。
「単独行動しないで必ず複数でね」と念を押されて。

我々はここで昼寝やら双眼鏡片手で辺りの観察

ロシア人の考え方

昼食の後、残った食料をどうしたらいいものかと考えていたら、
なんと、ダンボールに入れて木立の間へ捨てに行った
アンドレイの汚れたパンツも木立に向かって放り投げた・・・。

どこも子供の反応は似たようなもの・・・

アンドレイが濡れた手で、私が見ている双眼鏡を貸して?と言う身振り。
手を拭いてから・・・と言う手真似をすると
父親のジャージーで拭く。
子供はどこでも同じだなあ・・・と面白い。

反対側から見て小さく見えるのに驚き、
目から離して「あれっ??」という顔をする。
そして、反対側から見ると今度は大きく見えるのに驚き、
実物と比べてふふっと笑っている。

今度はシェルゲイの手に渡り、またアンドレイに渡ると、
京都組について帰ってきた4〜5人の子供たちが、
ぼくもわたしも・・・と手を出すので、
並んで、1回ずつよと手真似を交えて言うと、
ささっと横に1列に並んで順番を待つのも子供らしくて面白い。

ボート遊び

ビクトル氏とその友人がどこかからか借りてきたボートに
「乗る人〜」と声がかかり「はあい」と勇んでいく。

3人乗りで右の方の突堤のところまで行って帰りは漕いでみた。
あまり力もいらず手を動かすだけでぐいぐいと進んでいく
「やみつきになりますよ・・」と言われる。

湖岸の植物は日本と似ている

今度は、砂地の植物の観察に出かけたり(日本とよく似た植物が目に付く)、
またボートに乗ったりしてそろそろ帰り支度。

迎えのヘリは、18:00、17:00、18:00と、
ころころ情報が変わるが、もう達観した気分

チンブラクへ行くつもりが予定変更

ヘリは17:00に来てくれて、17:10発。前とは違うヘリ。
窓の外はモヒカン刈りのように
山の稜線のみに木が生えているカザフ風の景色がずっと続く。

景色を眺めているうちにだんだん眠くなる。
うるさいなあ・・・臭いなあ・・・と思いながらうつらうつらしていると、
「チンブラク、チンブラク」という声が聞こえてきた。

「えっ?。チンブラクへ行くんじゃなかったの?」
と思っているうちに通り過ぎてしまった。
ヘリポートがないからか・・・と呑気に考えていたら、
予定変更してアルマアタへ行くとのこと。

ヘリから下ろされバスが来るまで待つ

18:40、1時間半かかって町並みや車が見える空き地に着陸。
人と荷物を下ろしてすぐ飛び立って行ってしまった。

       
   アルマアタの近くでヘリから下ろされ、バスが来るのを待つ

19:25、やっと来たバスに乗って発車。
途中でビクトル氏が下車。
ここで「フィニッシュ」と言われ、安藤さんはびっくり。

変更の続出

だってビクトル氏がこれからずっと行動を共にする
インストラクターだと聞かされていたのに・・・。
「モーメント・モーメント」と言って車を止め、
片言の英語で話し合っている。

ここから安藤さんの通訳業が本格的に始まり、
堀井さん(北海道)・野口さん(東京)が大活躍。

とに角彼の役目はここで終わって、
「トモロウ、また一緒に行く」と言うような中味。
シェルゲイも一緒に下りて、これで知り合いはいなくなったわけ。

どこへ連れて行かれるのか?これからどうなるのか?
さっぱり分からなくて皆に不安感が漂う。

なにがなにやら????

19:55、今日の宿はここか?と思われるようなところにバスは停車するが、
どうやらここはスポーツ委員会の事務所のよう。
食料やら山登りの身支度をした人たちも乗せてまた出発。

次に停まった所は、どうやらホテルの前。
しかし、「8人はここで下りて、アナザーピープルはアナザーホテル」だというので、ええーっ??!!

英語は複数で聞くと理解しやすい

英語の分かる人たちが2〜3人集まって彼の話を聞く。
直接聞いている本人は、頭がカッとして理解率は低いが、
周りの人は第3者的に落ち着いて聞いておれるので理解率が高い。

8人と6人に分かれる??

分かったことを要約すると
・この町の担当者としてスポーツ委員会からウラジミール氏が我々の責任者となる。
・同じホテルに14人も4泊は無理なので、8人と6人に分ける。
・明日の朝は8:30に迎えに来て14人一緒に行動できるようにするから
・・・・ということ。

もろもろが暗雲となって渦巻く

しかし、すんなり了解したわけではなく、
通訳がいないから話がよく分かっていない不安感
予定がころころ変わる不信感
時間のルーズさなどが積もり積もって疑心暗鬼の固まりとなってしまっている。

もしかすると、分けられてばらばらのところへ連れて行かれ
最悪の場合は日本へ帰れない・・・ということもありそうな気分になってしまっていて、
どうしても14人一緒でないと困る・・・
と言ったがウラジミール氏は大丈夫だと言う。

ベリーニアーのホテルだった

結局、彼の言うことを信じて、京都・名古屋(わたしと友人)・北海道と
リーダーの安藤さんの8人はドスティックホテルへ。

  
  ドスティック・ホテル 8名はここで泊 6名はカザフスタン・ホテルへ
   日本円で一泊1万5千円の一流ホテル


  
   
カザフスタン・ホテル  
   6人グループが宿泊

静岡と新潟と東京と副リーダーの馬場さんの6人は
カザフスタンホテルへと分かれることに決定。

夕食が済んだら合同のミーティングができるようにする・・・
ということでまずは一安心。

ソ連で迷子になったら大変!!

フロントで部屋割りをして鍵を貰いやっと部屋に落ち着く。
交渉はウラジミール氏。
ソ連では英語が話せるのは高学歴の人だけ
町・空港・ホテルなどどこの場所でもロシア語だけ。
迷子になったら・・・、それも大都市ではない辺鄙なところだったら
一巻の終わり!!と言う感じ。

落ち着いたホテル

20:40、やっと部屋に着く。
21:00から夕食なので急いで汗を流すことにする。
「ベストホテル」と言う言葉の通り落ち着いた感じ。

廊下はまっすぐにじゅうたんを敷き
ドアの色なども渋いえんじ色でよく磨かれている。

部屋の中もインツーリストホテルよりぐんと格が上・・・といった感じ。

カザフスタンホテルはベターホテルで
雰囲気が明るく建物も高いのでぐるりが見渡せるとか。

都ホテルと新都ホテルの違いでしょう」・・・とは京都組の感想。
なんといってもふんだんにお湯が出ることと、沈殿物が出ないことに感激。

時間ぴったりのウラジミール氏

21:00ぴったりにウラジミール氏が食堂の前で待っていた。
ロシア人的ではないねと感心。

明日のこと、これからのことが心配で、安藤さんがいろいろ質問攻め。
ウラジミール氏は閉口して、まず「イーティング・プリーズ

夕食はおいしい。
しかし、ビールをはじめアルコール類は一切なし。
テーブルの上には生ぬるい甘いコーラ様の飲み物だけ。

清潔で快適なベッドに感激

ミーティングで、
・スキーリフトは動かない。
・ロッジは外国人用にはできていない。
・明日8:20、食堂前に集合。
などを打ち合わせて約1時間弱で終了。

部屋へ帰り洗濯をして床に入ったのが23:30。
なぜソ連は貧しいのか?こんなに広い大地があるのに?
という話をしながら0:00ごろ眠りの中へ。

柔らかいスプリングのベッド、洗濯したてのシーツ、大きな羽根枕。
やっぱり、文明はいいなあ・・・


次へ続く