スペイン巡礼路 800kmを歩く |
サン・ジャン・ピエ・ド・ポー(フランス)から、 サンティアゴ・デ・コンポステーラ(スペイン)へ |
28日目 6月17日(日)
【ラバナル・デル・カミーノ・・・モリナセカへ 25.6km(合計562.65km)】
※ー鉄道 =自動車 ・・・徒歩 ⇒バス ≠飛行機 ⇔その他
アルベルゲ 6:48発 |
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白い花のかたまりだが、こちらをよくよく見ると マメ科ではなくツツジ科のよう |
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こちらも、白のかたまり 昨日から急に増えた白花のマメ科 黄花とそっくりで、葉先はとがって皆上を向いている |
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エリカの仲間:ツツジ科 見事なピンク色のかたまり |
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巡礼路の左右は色とりどりのお花畑になった |
花の盛りは過ぎ、茶色い実ができ始めていた ユリ科 |
日本の園芸店で、そっくりさんを見たことがある ユリ科だろう |
「フォセバドン」の文字 8:28 まだまだ先は長い |
高い棒の建っている場所に着いた 9:12 『La Cruz de Ferro(峠の鉄十字)』だって 巡礼者が小石を持ち寄って置いていった結果、 こんな丘になった・・・とか |
峠から降りてまた歩き始める |
今日は麦畑は見えない 山岳地帯なので、展望もいいし、花も山の花になってきた |
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標高はせいぜい900~1000m程なのに、雲海が見える! |
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今回の行程中、一番花と展望のいいコース |
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小学生たちがグループで歩いてきた うるさいくらいおしゃべりで、早い足取りで追い越されてしまった |
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ずっとベンチがないので、山際に積んであった岩に腰を下ろして休憩 う~ん、いい景色~ |
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さあ、下りが始まった ガラガラの歩き難い路 少しでも平らになっている所を探して、ジグザグ歩き |
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雪のある山がだんだん近づいてきて、歩いていくうちに左手になってしまった |
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どんどん下ってもまだまだ先が見えない |
やっと麓の集落が見えた 12:01 でも、あの町は目的地ではない |
「エル・アセボ」の文字 12:06 目的地のモリナセカは、まだここから9km先 時間でいうなら、2時間以上かかる |
「リエゴ・デ・アンブロス」の文字 12:43 まだ、6km歩かないと今日の宿に着かない |
どんどん歩くしかない |
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ジギタリスの仲間:オオバコ科 |
初顔の花 アオイに似ているけれど、葉っぱの形が違う 花びらに筋も入っていない |
古い家並みを通り抜け・・・ |
黄色い矢印に導かれ・・・ |
狭い急坂の道へ 自転車隊も乗って降りることは難しいので、歩いて降りて行った程 |
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花いっぱいの小道を歩いてご機嫌・・・ 初顔の花もあって嬉しくなる! |
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どんどん降りていくと、嬉しいことに「ドーネーション」のお店があった フルーツとジュース類のパック 店番は無し 有り難く頂戴して、金庫の中にコインを入れておいた |
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やっと、山道が終わり麓の車道歩きとなった 「モリナセカ」に着いた 14:32 |
今日のアルベルゲはどこ? |
ホテルやホステルが軒並み並んでいる中を、 「アルベルゲ・サンタマリアーノ?」 と、尋ねながらどんどん歩いた |
この川を渡った所がアルベルゲらしい |
あらあ~ 日本語の文字! 2009年に設立された「カミーノ友好記念碑」だって |
ここが目的地の「サンタ・マリアーノ」 町はずれでやっと見つかった |
食堂 |
この食堂の片隅にも記念碑 「NPO法人 遍路とおもてなしのネットワーク」 「NPO法人 ルート88四国」の文字 |
ぱかぱかっと音がしたので、外を見ると、馬を使っての巡礼らしい 道理で巡礼路に馬の糞が落ちていたのか! |
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ここは3階 2階は2段ベッドなのに、3階は平置きのベッドが8つ 広々して明るい 希望したわけではなく、「割り振られた」って 洗濯場やシャワー室が地下にあるので、 4階を上り下りするのはシンドイ・・・ |
アルベルゲのテラス 町はずれにあるので、ビールもここで調達 ここで日本人男性2人とばったり出会った |
近くにバルやレストランはないので、ここのアルベルゲで夕食・朝食を取ることにした スープ・サラダ・パスタ・デザート・・・味はまあまあ 隣に座ったフランス人夫婦は、今日で「53日目」だって! ・・・・・・・・・・・・・・・ 久しぶりの石ゴロゴロの長い下山だったので、 膝が「イタタ」状態になってしまった (この痛みが治まらず、以後痛みを我慢して歩いたことにより、 ついにはタクシーを使ったり、 ザックを次のアルベルゲに託送したりすることになった・・・) |