スペイン巡礼路 800kmを歩く |
サン・ジャン・ピエ・ド・ポー(フランス)から、 サンティアゴ・デ・コンポステーラ(スペイン)へ |
42日目 7月1日(日)
【夜、マド―リード空港から出国】
※ー鉄道 =自動車 ・・・徒歩 ⇒バス ≠飛行機 ⇔その他
朝食 8:26 友人は食べたくない…とのことで 私一人ホテルのレストランへ ビュッフェ・スタイルだった 「朝食の予約は時間が遅くてできなかったので 現金払いで」・・・と竹澤さんからメール 部屋番号の書いてあるカードを見せてOK サラダ・フルーツ・ハム・ジュース類・ ヨーグルト・卵料理など ずらりと並んでいる久しぶりの豪勢な食事 パンや菓子パン類は食傷気味なのでパス! ベーコン・ソーセージ類は塩辛く、卵料理は薄味で、 目は楽しんだが、 舌は早く日本へ帰りたいと訴えていた |
12:00にチェックアウトして、 ザックはホテルのロッカーへ預け、 昨日のレストランまで一緒に出かけた 美術館へ行くという友人はコーヒーを 私はビールを飲んで分かれた |
ホテルへの帰り道、行きとは異なるコースを歩いていたら、 ふと道に黄色いものが落ちていることに気付いた 見上げると、木の花だった ボダイジュの花に似ていた:シナノキ科 ↑ 左上 木の全体像 その他3枚 花の様子 ↓ 車の上にもいっぱい落ちていた |
|
ホテルへ帰って、ロビーで待つことにした 15:00頃には友人も戻ってくるとのことなので、 それからタクシーを頼んで空港へ向かうつもり |
|
タクシーで空港へ向かう | |
空港に着いた 15:15 |
|
マドリードの空港内には、レストランがない(みたい) 15:50 やっと探し当てたのがここ ファーストフード店 膝が痛い私を気遣って、お店探しから、注文・運び屋まですべて友人のお世話になった |
|
チェックインをすると、竹澤さんから連絡があったらしく車椅子が用意されていた ダブルストックがないと「ゆっくり・そろり」歩きか、 手すりや壁伝いでないと歩けない状態なので、有り難く利用させてもらった(身体障碍者扱い) ダブルストックは袋に入れてザックの横に収納 セキュリティーチェックも、並んでいる人の列の間に割り込んですいすいと済んでしまった なんだか気恥ずかしく、後ろめたさを味わいながら押してもらっていた 専門のスタッフが車椅子を押して、次の人にバトンタッチして・・・というシステム ここで時間待ち 17:47 友人は、お土産を探しに出かけた |
|
特別ルートの「超ショートカット」で 通路を押してもらって・・・ 18:38 |
ゲート「A8」へ 18:49 |
車椅子スタッフ 二人いるのは、私の他にもう一人コリアンの女性がいたから 19:45 この二人のスタッフは、ず~っと私たちに付きっ切り 搭乗入り口まで付き合ってもらった ありがとうのお礼と握手で分かれた |
|
43日目 7月2日(月) 【帰国】 |
|
機内では、寝るのも苦しく、起きているのもつらい状態なので 気を紛らせる方法として洋画の吹き替えを3本も見てしまった! 「スリー・ビルボード」「15:17発、パリ行」「ロングロングバケーション」 どれも中身の濃い内容で、つい時間を忘れてのめりこんだ・・・ もうすぐインチョン空港 車椅子を用意しているから最後まで座って待っていて・・・と、 アテンダントから声をかけられた |
|
インチョン空港に着いた 車椅子ではなく、係員の腕にすがってから、電気自動車に乗ってゲートまで送ってもらった |
|
今まで気が付かなかったが、こんな電気自動車が何台も走っていた |
|
お腹が空いたので、この空港でユーロが使えるか友人に聞いてもらったところ 「札」ならOKとのことで、サンドイッチとジュースを買ってきてもらった ・・・・・・・・・・・・ 中部国際空港には、20:55着の予定だったが少し遅れて到着 今までと同じように、「最後まで座って待っていて」とのことで、他の乗客の最後から歩いて行った すぐ、車椅子に乗って超ショートカットでバッグの受け取り場所まで送ってもらい そこからは、自力で歩いて、荷物宅配受付まで行き、 大きなザックを預けて、ショルダーバッグ一つと、ダブルストックで名鉄電車駅へ 「ミュースカイ」22:07発に乗り、金山で乗り換え多治見へ 多治見からタクシーで帰宅 ぎりぎり今日のうちに帰宅できた 翌日、整形外科で受診し、ヒアルロン酸の注射を打ってもらった 1週間おきに計3本打ったところで、痛みが少なくなったので 治療はそこで終了 咳・喉の痛み・鼻水は、内科を受診したが、 湿っぽい日本の空気に触れているうちに回復できた |